2012年12月28日金曜日

ホントに不思議

今日は今年最後の仕事であった。
会社は年内まであるのだが私は今日で仕事納めであった。
4時に上がってさっそく鍼灸治療院へ向かった。
肩こり、首の痛みとどうにもならなくて通いだした
鍼灸治療院であるが。。。。
きょうで3回目である。

前回2回目はお灸もしたのであるがこれが痛みにバッチリと効いて
気がついたら痛みから解放されていた。
今日は鍼のあと、お灸、その後ガラスの湯飲み茶わんみたいなもので
真空状態にして背中に貼り付ける治療をした。

私にとっては本当に効き目があると思う。
あれほど長い間整形外科に通い薬を飲んで治療したのにちっともよくならず
最後の頼みと行った鍼灸治療が抜群の効き目であったのだ。
背中なんて以前はまるで板のように硬直していた。
顎関節症も軽快しているし信じられないとはこういうことだ。
東洋医学ってすごいなと感心しきり。

治療院を出る時、今シーズン初の雪が降り出した。
治療のせいで体がポカポカ暖かく軽い。
そして外は雪・・・・
なんだか身も心も毒素が抜けたように感じ新しい自分になったような気がして
来年に向けて光が見えてきた。
そう思うほど治療の効果があるということかな?

「よーし、来年も私は頑張るぞー」と急に元気が出てきて
独り言を言いながら帰宅した。
東洋医学の不思議を感じた日であった。

2012年12月18日火曜日

あら、不思議

今朝、起きたら見事に首が回らなかった。
横を向くのも振り返るのも体ごとになってしまい、なんともつらい。
近いうちにまたこうなると予感していたのだが「やっぱり」であった。
ここしばらく会社も繁忙期になりパソコンを使う時間も多いし、
マンドリンクラブで配られた新しい譜面もたくさんあり
つい嬉しくなって弾いてしまう。
またマンドリン研究所の6月の発表会に弾く曲の候補も決まり
夢中で弾き始めた。

もう整形外科へ行くのもいつものワンパターンとなり
まず飲み薬、貼り薬、電気・・とお決まりのコース。
治ればまたぶり返しと・・・一向に良くはならない。
それは当たり前である。
肩が凝るようなことをやめないのであるから。

もっとちがう治療法はないかとネットで検索したら
会社帰りに寄れそうな鍼灸治療院を見つけた。
とりあえず電話してみるとちょうど良い時間が空いているという。
その上HPに載っている初診料無料のページを持っていくと
1,000円が無料である。

さっそく行ってみたら・・・
そこは20年前に、信用金庫に勤めていた時、
私は外回りをしていたのであるがその時のお客様であった。
なにか縁を感じたのであるが、
さて治療はというと、針とお灸を組み合わせた施術であったが
肩や首が痛いのに手足の先端にも針を打ったりしていた。
帰る頃には血の巡りがよくなったのか痛みがかなり
軽減されていた。

そしてもっと不思議なことに顎関節症の私は
食べ物を食べるたびに顎がカクカクなって
口も半分しか開かなかったのに・・・
すっかり症状が消えてしまっていたのであった。

今までの諸症状はすべてつながっていて関係しているのだと気がついた。
いわゆる東洋医学は病気の予防なのですと院長先生は言っていた。
悪くなる前に血の巡りを良くし、病気を防ぐ・・・
なるほど、考え方の違いに目からうろこであった。

1回3500円、高いか安いかは別としてしばらくは
体のメンテナンスのつもりで定期的に通ってみようと
思っている。

2012年12月3日月曜日

一升餅


今月1歳になる孫が歩きました。
まだ10歩ほどですが。
今日娘と孫は私の実家へ遊びに行きました。
そして私の81歳の母がひ孫にお餅を背負わせたそうです。
といってもたまたま家にあったお餅を風呂敷に包んで背負わせたのですが。
なんか笑っちゃいますね。



子供が歩き始める頃子供の成長を願ってお餅を背負わせる行事があります。
一生食べ物に困らないよう、丈夫に育つようとの願いをこめたのですね。

ひ孫を3人、母へ見せてあげられたことは母への親孝行の一つだと思っています。
といってもまだまだマシンガントーク炸裂で元気な母にはとても私はかないません。
私はひ孫がお餅を背負う姿が見れるかしら?
とてもとてもそんな自信はありません。

2012年11月29日木曜日

眼は大切に

昨日、左目の網膜にレーザー手術をしました。
この頃飛蚊症がひどくなってきたので眼科へ行ったら
網膜が薄くなっている部分があるので様子見をしていたのだが
検査に行くたび数が増えてきて3か所も・・・、
このままいつ剥がれるかと不安でいるよりも処置してしまおう
と、云うことになったのである。

一応日帰り手術なので同意書を書き、保険に入っていれば
手術給付金がおりるとのことでした。
瞳孔を広げる薬と麻酔の薬を点眼して
レーザーを当てましたがそのたび目がチカチカ、
レーザーが発射されるたび光が見えて目の奥が
ズンズンと痛みがありました。

しかしあっという間に終了。
眼帯をして帰宅しました。
3時間たったら眼帯も外してよいとのことでした。
お風呂も洗顔もOK。日常生活で良いとのことです。
支払った金額は3万円余り、保険は10万円ほど出るから
不謹慎だけど儲かってしまった。
手術して儲かるなんてどういうこと?

眼帯をつけて帰宅した時に感じたことは
片目ってなんて不自由なんだろうと身に染みて感じました。
歩くのも怖い、段差も、後ろから来る車も自転車もこわい、
なにをするのもゆっくりになり何気ない動作も制限されます。
普段の両目で見える日常に心から感謝しました。

「中年になったら眼科検診を受けましょう」
これは本当です。
健康診断や歯の検診、人間ドッグと同じ感覚で受ければよいのだと
実感いたしました。
眼は大切です。



戒名

今日ニュースでファンキーモンキーベイビーズが解散することになったと
伝えていた。
メンバーの一人が実家のお寺を継ぐためとのことであった。

そのお寺は我が家のすぐ近くにあり我が家はそのお寺の檀家である。
このお寺、宗派は時宗である。
600年以上の歴史がある古い由緒正しいお寺である。

親の葬儀、法事、とお世話になり、お盆、お彼岸となにかと
お寺に行く機会が多いので住職さんとはたまにお会いするのであるが
その息子さんがお寺を継ぐことになってほっとしているのではないかと思った。

と、云うことは・・・・考えてみると・・・・
私の葬儀の際はこの元ファンキーモンキーの息子さんに
お経をあげてもらって戒名もつけていただくのだ。

これからはお寺に行くたびにお会いすることもあるだろう。
「私の戒名は素敵な名前でお願いいたします。」と今から
お願いしておこうと思っているのである。


2012年11月24日土曜日

母校100周年

昨日母校高校の創立100周年記念パーティーに新宿のホテルまで
行ってきました。
400名ほどが参加いたしましたが同じ学年はその中でも60名以上と
出席率が高く40年ぶりの懐かしい顔もありました。

こんなこと言っては失礼ですが「怖いもの見たさ」なあんて・・・
そんな好奇心もありました。
あの頃のカッコ良かった〇〇君、可愛かった〇〇さん。
みんなどのように変貌を遂げているのかと興味津々。

皆さんそれぞれ面影がありましたが、今は定年間近の貫録の着いたおじ様、
おば様と壮観な顔ぶれ、
かくいう私もその一員でありました。

たった数時間でしたが40年という空白の時間は急速に縮まり
3年間の学校生活の思い出がみるみる膨れ上がり
懐かしさで胸がいっぱいになったひと時でした。

この年齢になってクラス会や同窓会なるものに参加できるって
幸せなことだと実感しました。
だって同級生でもう亡くなられた方も何人もいるのですから・・・
そしてなんとか元気でいられるからこそ・・・

同じマンドリンクラブだった仲間と別れ際
「次の同窓会まで私たち生きているかしら?
また元気で会いましょう!」と手を振り
雨の上がった新宿副都心ビル街を抜けて家路を急ぎました。
このような企画をして実行してくださった幹事さんに感謝しつつ・・・



2012年11月21日水曜日

赤いべべ着た♫


この子は私にとって3番目の孫ですが男の子です。
悲しいかな上のお姉ちゃんのお下がりばかり着せられています。
「赤いべべ着た可愛い金魚~」という童謡がありますが
赤いべべを着ていてもなかなかどうして大きな体格の迫力満点の赤ん坊です。
どちらかというと「どすこい、どすこい」と、しこを踏みそうです。
しかし寝顔は本当に可愛いなあとバババカながらそう思っています。
どんな子に育つのでしょうか、とても楽しみです。


2012年11月20日火曜日

遊具


この遊具、ジイサンが孫のためにと買いました。
「じいちゃんが買ってやるぞ!」とずっと前から言っていて、鼻息荒く1万円もくれました。
そのお金を持って私と娘は孫を連れて「トイザラス」へ行きました。
セールをやっていてこの遊具はその対象でした。
代金は1万5千円ほどでした。
なんだジイサンがくれた1万円では足りません。
結局不足分5千円は私が出して購入しました。
自宅に帰りジイサンに「1万5千円したよ」と言いましたが
孫に買ってあげたことで満足してしまったのか
差額5千円はくれなかった・・・・

これからは「あの遊具はじいちゃんが買ってあげたんだ」と云うだろうけど
私だって出してあげたんだとちょっと悔しい気がする。
でもまあいいか、なんでもこの大きな遊具、
娘の狭いマンションのリビングを占領しているらしいが
孫は興奮して大喜びだそうである。
メールでこの写真を送ってきた。
こんなに喜んでくれたのであるからどっちが多くお金を出したの出さないのと
ジイサンバアサンの低次元な話はやめておこうと思っているのである。

2012年11月7日水曜日

用の美

昨日の夕刊に正倉院の宝物「瑠璃坏」について
華道 家元の方のコメントが掲載されていた。
写真も載っていて誰でも教科書などでも目にした記憶のある
コバルトブルーのガラスの盃です。
ガラスの部分はペルシャ製でしょうか、
「異国情緒の青」と書いてあります。

もちろん色、形と美しさをほめたたえてありましたが
口径と高さの比が素晴らしくいかにも使いやすそうでこういうのを
「用の美」というのでしょう。
と、締めくくられていた。

「用の美」・・・・
なんて素敵な言葉だろうと思いました。
こんな言葉知りませんでした。
もちろん国の宝物に対して使ってこその言葉かもしれません。

でも自分の身近なところにも「用の美」があるにちがいない。
実用性の中にも美しさがある・・・
美しさの中にも実用性がある・・・
これからはなるほど・・と感心した物に「用の美」という言葉が
さりげなく口から出てきたらいいなあと思ったのである。


2012年10月31日水曜日

どんぐりころころ


娘からメールでこの写真が送られてきました。
遊びに行った先で孫と一緒にどんぐりを拾ったそうです。
孫より本人が拾うのに夢中になってしまって
おまけに蜂に刺されてしまったとのこと。

そういえば思い出しました。
自宅の裏にある我が家のお墓には大きな樫の木があって
娘が小さい頃「どんぐりころころ」を歌いながらよく一緒に拾ったなあ・・・
小さい頃の記憶は忘れているようでどこか心の片隅に残っているのですね。

秋の陽を浴びてどんぐりを拾っている姿を思い描いていたら
無性にあの頃が懐かしくなりました。
もう遠い昔のことですけど・・・



2012年10月20日土曜日

小旅行

小旅行と言っても今日は自宅から車で15分という近さの
日本100名城の一つ八王子城跡に行ってきました。

偶然にも本日、市の八王子城ビジターセンターなるものが開館して
人々で賑わっていました。
八王子城は北条氏照が16世紀の戦国末期に築いた関東屈指の山城です。
豊臣秀吉の関東制圧で前田利家・上杉景勝軍に攻められ
一夜にして落城しました。

お城そのものは残っていませんが山城の形態は復元され整備されつつあります。
これは御主殿に通じる当時の雰囲気を考えて架けられた曳橋です。
この下は深い谷底になっています。
想像すると本当はもっと簡素な橋で敵が攻めてきたら
取り壊して敵が渡れないようにしたのではないかと思われます。



こちらは御主殿の滝です。
落城時御主殿にいた北条方の武将、婦女子らが自刃して
次々に身を投げその血で三日三晩川の水は赤く染まったという
言い伝えがあります。
そばに供養塔がありなんとなく嫌な感じがした場所でした。



本丸跡からの眺めです。
お天気も良く新宿副都心、西武ドーム、横浜まで見えました。
戦国の人たちもここから眺めたと想像しますが
果たしてどんな景色だったのでしょうか・・
そして何を思ったのでしょうか・・





本丸跡、曲輪、虎口、御主殿、曳橋など戦国時代にタイムスリップしたようでした。
今から400年以上も前にこんな山の中でお城に暮らした人達
どうやって地形を把握しこの場所を選んだのでしょうか、
人力で運び何もかも自分たちで調達したのでしょうか、
通信手段は何だったのか、
怪我や病気になったらどうしていたのか、
夏は暑くて虫だらけ、冬はとても寒いのに暖房や衣服はどうだったのか
どんな食事だったのか
情報はどうやって手に入れていたのか
自刃をするということはこわくはないのか、逃げ出したくないのか、
考えれば考えるほど興味は尽きない。

不思議なことにいまだにこの場所は怪奇現象の噂が絶えません。
真偽は別として確かにそんな話が出てもおかしくないと思います。
頂上の本丸跡に登ったら辺りには誰もおらず、朽ち果てた
お堂のようなものが立っていました。
まわりはうっそうとした森で怖くなり一目散に退散しました。
落ち武者なんか絶対に見たくないし・・・

自宅に帰った後気がつきました。
我が家の近くには「下げ坂」という峠があります。
八王子城落城の時討ち取った武将の首を下げて
通ったと言われています。
またその下げ坂の入り口近くは「死に畑」といわれ
その場所は何をやってもうまくいかない場所だと
言われています。
また「調井」(ととのい)という地名もあり
ここは八王子城に攻め込む前にここで軍勢が
作戦を調えたところと言われています。
そしてなにより我が家の隣に大きな塚があります。
小さな古墳のような感じです。
昔からこの下にはお侍が眠っていると言われています。
もしかしたら落城で落ちのびてきた武将だったのかも・・・
などと思いを馳せてみました。

今日は戦国の時代にタイムスリップしたような不思議な
時間を過ごした一日であった。
今夜は隣りの塚に眠っているお侍が夢に出てきそうである。





2012年10月19日金曜日

雨の日のマンドリン

 

雨の日、家にいると家事はする気が起きない。
お天気が良ければ猛烈にハッスルしてしまうのだが
雨の日は心がブルーになる。
どこかへ出かけるのもおっくうになり
ではマンドリンでも弾くか・・・という気になる。
マンドリンの音も湿気のせいかカラッと明るい音を出してくれない。
なんとなく重くて暗い感じに聴こえる。

自分もマンドリンもついでに愛犬もブルーモードである。
しかし毎日飛び回っている私にはこんな時間は貴重なのだ。
何かに追われることもなく一日雨の音を聴きながら
マンドリンを奏でる・・・
隣りで犬が幸せそうにまどろんでいる。
これはめったにない至福の時間だ・・・
やっとこの頃このような時間が幸せなのだとわかってきたのである。

2012年10月17日水曜日

孫のお手伝い


もうすぐ3歳になる孫は保育園で調理実習なるものを
経験していて我が家に来たときさっそくお手伝いをしてくれた。
ジイサンと一緒にキノコ汁を作ったのだが
当然包丁は使わず手でキノコをちぎってくれた。
手をちゃんと洗ったのかな?

皆で褒めちぎったのでその気になって夢中であった。
なるほど褒めてあげることはいいことだ。
いつかカレーでも作ってもらってごちそうしてもらいたいと
ばあちゃんは楽しみに待っているのである。

小旅行

昨日東京駅に行ってきました。
復元した東京駅は観光客で一杯。
昔、東京駅まで通勤していたので大きく様変わりしたという印象は
あまりありません。

しかし赤レンガの建物はノスタルジックを感じて素晴らしいです。
こうやって昔の建物を残していってほしいです。

その後ブリックスクエアまで歩き婿さんのお店にちょっと寄ってから
築地まで歩きました。
日比谷へ出て銀座の町中を抜けてやがて改装中の歌舞伎座が
見えてきたらもう築地です。

観光客でごった返す中、今日の夕食にマグロを買って海鮮丼を食べて
帰ってきました。
味は?うーーん、高いしたいして美味しくなかった・・・
これなら自分の地元のいつも行くところの方が安いし、美味しい。
まあ観光地ではよくある話かな。

ということでその後中央線に乗って帰宅したのだが
かなりの距離を歩いたのでくたびれてその日は
さっさと就寝したのであった。
どういうわけかこの頃小旅行にはまっている私である。

2012年10月16日火曜日

小旅行

先週はお天気も良かったので川越へちょっと足を延ばして
趣のある街並みの散策を娘と孫と一緒に楽しみました。
これは「時の鐘」

土蔵作りのような商店

りそな銀行  ちゃんと営業していました。

歯科医院  レトロな雰囲気で今でも開院していました。
入口のステンドガラスがおしゃれです。


町あげて観光に力を入れています。
日本は昔からの建造物を保存するということに今まで真剣でなかったような気がします。
戦後どんどん日本中の建造物が新しくなってしまった。
やっと今になってその大切さに気が付きだしたのでしょう。

今から30年前、結婚前に私の父と二人でこの川越に来て
この街並みを歩きうなぎを食べた記憶がよみがえりました。
おもえば父と娘の最初で最後の小さな旅でした。
そして間もなく私は結婚してしまい数年後に父は病で亡くなりました。
その時の父の年齢を私は越えてしまいました。
この川越は私と父との思い出の場所でもあったのです。
そうして今は娘と孫とまたこの町を歩いている・・・
記憶の彼方にかすんでいた思い出を懐かしんだ「川越小さな旅」でした。


2012年10月6日土曜日

三人の孫


私の三人の孫たちは毎週末入れ代わり立ち代わり遊びに来て
泊まっていく。
つい最近生まれたと思ったらもうこんなに大きくなってきた。
我が家に全員集合してお泊りした時はもう何もかもがめちゃくちゃで
なにがなんだかわからないまま時間が過ぎ去り
気が付いたらみんな帰っている。
怒涛の如く・・・という言葉が一番あてはまる。
そしてあとはしーんとした家に
じいさんとばあさんだけがむなしく残されている。

可愛さのあまり抱っこしたりおんぶしたりといい気になって可愛がるが
翌日はあちこちが痛くて体中が悲鳴を上げている。
しかしこんなうちもほんの一瞬、
やがて生意気になって離れていくのであろうか。
そう思うと精一杯今の孫たちを可愛がってあげようと思っているのである。
どうやらまた明日も泊りに来るらしい・・・・

2012年9月26日水曜日

小旅行


今日小田原城に行ってきました。
マンドリンクラブの定演も無事終了してほっとしたので
気分転換に仕事を休んで行ってきました。
お天気も良く気持ちの良い日でした。

この小田原城は戦国大名小田原北条氏の居城でしたが
豊臣秀吉の小田原攻めにより滅亡しました。現在は復元されていますので
コンクリート作りなのでちょっとがっかりかな?
しかし土台の石垣は見事です。
ほれぼれします。
このような歴史的建造物を見ていつも思うのですが
昔の人は重機もないのにどうやって造ったのか不思議です。

私は神社仏閣もいいですが日本のお城が大好きです。
何より形が美しい、立地が良い、戦を考えた設計、無駄のないそれでいて
こんなことまで考えてあるのかという驚きがたくさんあります。
また戦国時代の歴史を教えてくれます。
できれば「お城クラブ」なるサークルでもあれば入りたいくらいです。


その後箱根まで足を延ばし富士山をながめ仙石原へ。


一面のススキの原。
ここももしかしたら昔の合戦場だったのかもしれない。
先週のマンドリンクラブ定期演奏会で演奏した「古戦場の秋」のメロディーが
思い浮かんだ。
この風景を見て戦国時代に想いを馳せその時代にロマンを感じてしまうのはなぜだろうか。
まさに「兵どもが夢の跡」
秋の一日、充実した小旅行であった。

2012年9月10日月曜日

頭の重さ

この頃首が回らず整形外科に通っているのだが
人間は頭が重いから肩がこり首が痛くなるのだそうだ。
デスクワークやパソコン等も原因の一つで
私はそれに加えてマンドリンを弾くから余計こってしまうのだ。

今は飲み薬と貼り薬と電気で治療しているが
あさっては鍼灸を予約した。
これで首と肩の痛みはバッチリ解放されると期待している。
やっぱり首、肩が痛いと何もやる気がしない。
きびきびと行動を起こすのには体が痛くないのが条件なのだ。

しかし人間の頭の重さって5Kgもあるそうだ。
なるほど5Kgもあるのなら首も痛くなる。
その話を聞いたとき頭の重さがわかるということは
生首を秤にかけたからわかったんだろうなと思い
ちょっと気味が悪かった。
でも私は人様より脳みそがぎっしり詰まっていないから
首は痛くならないはずなのに・・・と考えて、
「あーやっぱりそれは加齢のせいだわ・・・首の筋力が落ちているのね」
と妙に納得したのであった。


2012年9月3日月曜日

春雨スープ

職場でお昼にお弁当を食べる時
即席のスープやみそ汁などを一緒に頂く。
レンジでチンしたり熱湯を注いだりしてあつあつ出来立てのスープが出来上がる。
私はこれが楽しみで何を隠そう自分の机の引き出しには
色んな種類の即席スープがしまってある。


今日も待ちに待ったお昼がやってきて
スープを作ろうと思ったらいつものマグカップがどうしても
見当たらないのであった。
同僚にも探してもらったが見つからない。
はてはきっと誰かが割ってしまったんだ・・・などと疑って
ゴミ捨て場に見に行ったりもした。

結局見つからずあきらめた時、同僚が
「あれー、レンジの中にコップがあるよ~」。
そうです今日は月曜日、金曜日のお昼に食べるつもりで
レンジで温めた春雨スープが取り出し忘れてポツンと鎮座していました。
週末そこにずっといたのね・・・

腐ってしまったかわいそうな春雨スープ。
それにしたってなんだって気が付かないまま今に至るのか・・・
私と同世代の方々、皆さんはどうでしょうか?
私だけではないと思いたい・・・・・・

2012年8月30日木曜日

極楽、極楽

「あ~、極楽、極楽」
この言葉、この頃とみに使うようになってしまった。
以前はなんて年寄り臭い言葉、こんなこと言うようになったら
もう私はおしまいだ・・
などとかなり鼻息荒かったのであるが・・・・

寒い夜、それも深夜お風呂に入る。
もう起きているのは私一人、家全体がしーんとしている。
今日一日毎度の如く忙しく、あちこち動き回り疲れ果て、
反省しきりの一日、それが何とか無事終わり、湯船に体を沈めた時・・・
出る言葉は「あ~、極楽、極楽」

お腹が空いて、昼食を食べそこね、やっと遅い食事にありついたとき。

猛暑の毎日、たいしたおかずでもないけれどささやかな夕食時、
冷たく冷えたビールをまず一口飲んだ時。

疲れた体を何とか引きずり風呂に入り、さて寝床にごろんと横になって
昔、親が言っていた「寝る程、楽はなかりけり」を実感した時。

お金を出してマッサージに行きその効果を実感した時。

「あ~、極楽、極楽」なんて素敵な言葉。
その一瞬、何とも言えず気持ちが良くて小さな幸せを感じればこそ出る言葉。
カッコ悪くも、年寄り臭くもないではないか。
これからはそう感じるたびに私はこの言葉を言い続ける。
今になってやっとわかった。
この言葉が多いほど幸せだということを。




2012年8月25日土曜日

ぬか漬け


ぬか漬けは自分で頑張って漬けているのであるが
今の季節はこまめにかき回さないといけないので大変だ。
本当は床下とか冷蔵庫の中の方がいいのだけれど
それは無理なので台所の作業台の上に置いてある。
糠床は生きているので「早くかき回してくれ」と言っているのが良くわかるのである。
そしてかき回してあげると「あー、一息ついた」と言っているように思う。
だから台所に行くたびにかき回せるので今のところは
無事この夏を乗り切れそうだ。

やっぱりスーパーで買ったものとは比べ物にならないくらい美味しい。
よく冷えたビールが合うので夕食はかならず食卓に上る。
そして朝食は温かいご飯とおみそ汁と一緒に頂く。
そして長く漬けておいて酸っぱくなったものは細かく切ってショウガなどと混ぜて
お醤油をかけると温かいごはんをおかわりしてしまうほどだ。


近所の無人販売で採りたて野菜を買ってくるので安いし新鮮だ。
ぬか漬けは発酵食品になるので体にとても良いのだそうである。
「糟糠の妻」などというむずかしい言葉もあるけれど意味はさておき
ぬか漬け臭いなどと人に言われてもこれだけは絶対に譲れない私のこだわりである。

2012年8月23日木曜日

眼科検診

「眼科検診は中高年になったら定期的に受けましょう」
という言葉は良く聞く。
今回はこれを身に染みて感じた次第。
以前から強度の近視のため飛蚊症があった。
ところがここ半年ほど飛蚊症が進んできたのであった。
つまり目の中に蚊だの糸くずだのが以前よりたくさん飛ぶようになったのであった。

「そうなったときは早めに眼科へ」とわかっていたのだが
なかなか眼科へ行かなかった。
先日仕事を休んでやっと眼科へ行ってきた。
いままでコンタクトレンズのお店に併設されている眼科で
お世話になっていたのだがなんとなく不安になって
地元では評判の眼科へ行ったのであった。

車では来てはいけませんと事前に受付の人に言われたので
猛暑の中バスを乗り継ぎフラフラになって眼科へ到着。
待合室はお年寄りでぎっしり。杖をついている人の多いことったら。
「今日は帰ろうかな?」などと一瞬思ったけれど
まあ仕方ないからじっと待っていた。

瞳孔を開ける薬を点眼して検査。
「今にも網膜が穴が開きそうなところがあります。」とドクターが言う。
「2週間後にもう一度検査してどうするか決めます」とのことだった。
私は無い知恵を絞って思いついたのは「網膜剥離?」
急に怖くなってきた。

とにかく2週間後また検査してどのような処置をするのか
あとはドクターにお任せである。
それにしても来月は一年に一度の大きなイベントが控えていて
病気なんかしていられないのに・・・・
でも検診をしたおかげで早めにわかったのであるから
良かったと思わなければいけない。
確かに眼科検診は受けましょう!というのは正解である。

2012年8月21日火曜日

また明日考えよう

誰でも落ち込んだり、嫌な思いをしたり、腹が立ったり
心配事があったりと生きていく上で何もない人はいないと思う。
その悩みを忘れろとか、考えないようにした方が良いとか、気にするなとか
人に言われてもそうそう簡単にはできない。
そんなことができるくらいならとっくにそうしているのである。

だからとりあえず私は「また明日考えよう」なのである。
今晩一晩はその悩みはちょっと横に置いておいて「もう寝よう」ということなのである。
もしかしたら一晩のうちに何か変化があるかもしれないし
これは夢かもしれないし、
朝、目が覚めたら「ばかばかしい」と考えが変わるかもしれないし
ほんの少し時間を置くことで変化を期待する作戦なのだ。

結局次の朝、昨日と変わらなくてもいいのだ。
そうしたらまたその日の夜になったら
「また明日考えよう」でいいのだ。
そうこうしているうちに時間は過ぎ去り
日にち薬が効いてきてその悩みの苦しさから少しづつ解放されてくるのである。

「風と共に去りぬ」の映画の中でスカーレットオハラが
悲しみにくれ泣きながら「また明日考えよう・・・」という場面がある。
これが私のそう思う原点なのである。

2012年8月19日日曜日

今夜はパラダイス!


今夜の私の夕食です。
何のことはない、すべて残り物、ありあわせです。
モズクも冷奴も冷蔵庫にあったものをただ器に盛ってショウガをすっただけ。
野菜は冷蔵庫の残り物、シラスをフライパンで炒って野菜にかけてドレッシングをかける。
豚肉はカレー味をつけて焼いただけ。
あとは冷えたビール。
こんな簡単な食事でも充分幸せを感じます。
テレビのニュースで尖閣問題、竹島問題をやっている。
それを「うーーむ」などと言いながら一人だけの夕食。

そうです今夜はパラダイス!
主人が山に行っているので私一人の夕食だからです。
いつもなら食べた気がしないほど動き回らなければならないけど
今夜はのんびりゆったり♫、あ~極楽極楽。
もっとどこかへ出かけるとか映画を見に行くとか考えればありそうだけど
結局昼間はいつもと変わらない一日であった。

一人でのんびりできるなら何もどこかに出かけなくったって我が家で充分。
なんて安上がりなパラダイス。
さあ食事も終わったし寝るまであとは何をしようか・・・・


2012年8月18日土曜日

村祭り


我が家の前に神社がある。地元では 天王様と呼ばれていて歴史も古い。
今日はその神社の村祭りの日であった。
夕方帰宅したら日も暮れ始め神社のお祭りが始まった。
昔はテキヤさんが露店などを出していたが今はすべて
町会で模擬店、お楽しみ抽選会をしてやぐらでは婦人会の盆踊りがはじまった。
私は御祝儀を受付に渡ししばらく村祭りの様子を見ていた。

幼い子供を抱いている母親をよく見たらうちの娘の同級生だった。
消防団に入団してお祭りの警備にあたっていた青年は昔近所の悪ガキだった。
我が子をお祭りに連れていったのはつい数年前だった気がするけれど
あっという間に月日は何十年も流れていたのであった。

そうか村祭りって普段は会うこともない人たちに会うことができるのだ。
そして声をかけてみたり、近況を伝えあったり、、、
田舎のお祭りってなかなかいいものだ。
太鼓の音、盆踊りの音楽にのって人々のざわめきが楽しそうに聞こえてくる。

町会からもらった福引券を引いてジュースをもらい、
焼きそば券を交換して、〇〇町会と書かれたタオルとうちわ、
神社のお札を頂き、地元の交通安全の役員さんたちが誘導してくれた道路を
渡り自宅に戻った。

地元の暖かさを感じ、いつまでもこの町が変わらずにいてくれたらいいなと思う。
来年は孫たちに来てもらってヨーヨーつりなど一緒にしたいなあ。



2012年8月9日木曜日

いよいよボケてきた?

今朝冷蔵庫を開けたら上から2段目のところに
お皿が2枚きちんと重ねてしまってあった。
しばらく声が出ず「皿を冷やしてどうする・・・・」と一人つぶやいた。
昨日の夕食でこのお皿をテーブルに出したのであるが
使わなかったのでしまったつもりであった。
しまったのはいいが食器戸棚ではなく冷蔵庫にしまったのであった。

なぜその時しまいかけて「あっ、ちがった」と思わないのか。
気が付かない自分が空恐ろしくなった。
ということは職場でもこんなことを無意識にやっているに違いない。
以前知人が急須が冷蔵庫に入っていた、という話をして
大笑いをしたがこれは他人事ではない。
信じられないことが自分に起こってくるようになったのだ。

でもまだ冷蔵庫に皿をしまってしまった、ということがわかるからいいのかな?
うちのバアサン、いろんなところに食べ物をしまいこんで・・・
などと言われたらもうこれは病気である。
「今回のことはただの老化ならいいけれど・・・・」
とかなり落ち込んだ出来事でした。


2012年8月7日火曜日

歯医者

私は歯医者に行くことが大嫌いです!
だからちょっと歯が痛かったりすればすぐに予約を入れるし
なにより検診のハガキが来たらさっそく予約を入れる。
歯医者が大嫌いなのになんでそのみごとな迅速な行動力?
と、感心すると思うが・・・・

考えても見てください。
歯の治療は拷門に等しいと思っているのです。
キューンという拷問道具で口の中の歯を削られるのです。
逃げたくたって「まな板の鯉」状態です。
歯を削るときのあの神経に近づく時の痛みというか感触。
思い出すだけで冷や汗をかいて気分が悪くなります。

自分の両手はまるでイエスキリスト様にお祈りをささげるみたいに
しっかりお腹の上で組んで(別に信仰心などないのに)、
心の中では「神様どうか痛くありませんように」と、その時だけの神頼み。
額は汗びっしょり、肩は力が入って耳元まで持ち上がっているし、
足のつま先はピンと伸びて親指はずっと先を差している。
目は片目だけ開いて先生をにらんでいるし、掌の中は汗でじっとり・・

だからもう二度とそんな思いをしたくないので
嫌でも大嫌いでもとっとと歯医者へ行くのです。
この気持ちわかってもらえるでしょうか。
ようは先手を打つということです。
いまは8020運動というのがあるそうです。
80歳になっても20本の歯を残そうということです。
私はこれを目標にしています。
ですからこれからも歯医者だけは「とっとと行く」という
信念をもっていくつもりなのです。
歯の治療、後回しにしておくと痛いし、お金はかかるし、時間もかかるし
いいことはありませんよ!。



2012年8月6日月曜日

広島原爆の日

今日8月6日、67回目の広島原爆の日がやってきました。
巷ではロンドンオリンピックが放映されてそれに一喜一憂しながらも
やはりこの日を重く受け止めなければならないと思っています。
新聞の一覧にもオリンピックが大きく報道されてどちらかというと
原爆の日のことは隅っこにあるような気がします。

私は戦争を知らない世代ですが親からは幾度も戦争体験を聞かされて
育ってきました。
しかし若い頃はその親の話が始まるたびに「また戦争の話・・・」と
ちょっとうんざりしたものです。
親も聞く耳を持たない娘に「経験したことのないものに話してみたって
わからないね」とさみしそうに悔しそうに言っていました。
今ある平和の有り難さも、戦争で犠牲になった方々、兵隊さんとして
戦地に赴いた方々の気持ちなどわからないまま
今ある自由で平和な毎日を当たり前のように謳歌して若い頃を過ごしてしまいました。

やっと自分が子供を持ち親になってみて
平和の有り難さがわかるようになりました。
悲惨な戦争の写真や本を見るたび胸が押しつぶされそうになりました。
我が子の未来、日本中の子供たちの未来が戦争のない世の中であってほしいと
切に願いました。
間もなく9日は長崎の原爆の日、そして15日は終戦の日。
8月は戦争について深く考えさせられる月なのです。
今でも世界中のどこかで戦争をしている現実。
人間はどうして戦争をするのでしょうか?

そして私の父の命日も8月15日。
この日は実家に行きお墓参りをして、年老いたけれど
まだかくしゃくとした母と昔の戦争時代の話など
聞いてあげようと思っています。
そのような話を真摯に聞くことが今の自分たちのつとめだと
思っているのです。


2012年8月4日土曜日

従兄弟



おととい長女の家に遊びに行きました。
6月に生まれた男の孫はしっかり大きくなって
目も見えるみたいです。
寝ている様はガマガエルがひっくり返ったみたいです。

次女とその孫も遊びに来ました。7ヶ月の孫は赤ん坊に興味があるらしく
ハイハイしながら近寄ってきます。
顔をペタンペタンたたいていました。
下の子供は強いわけです。
上の子供にたたかれたり踏んづけられたり
騒がしい中で育つのですからたくましいのです。

やがて保育園に通っていた2歳の女の孫が帰ってきました。
すぐさまこの弟のところへ行きなでたり頬ずりしたり、、、
子供は子供に興味があるのですね。

この写真の子供達はいとこ同士になるのですから
良い幼友達になってほしいと思っています。

2012年7月30日月曜日

用意周到

週末娘夫婦と孫が泊りに来たのであるが、
娘からまた婿さんがムカデに這われたら困るから
ちゃんとムカデシャットを寝室に置いておいてね、とメールがきた。
私はもう一箱ムカデシャットを買っておいたので
なんて私は用意周到なのだと胸を張って娘に「がってんだ!」と返事を送った。

夕方やってきた娘たちと前日から山へ行っていた主人も帰ってきて
夕食はギンギンに冷やしたビールを飲みながらのにぎやかな食事だった。
やがて夜も更け娘と孫は奥の部屋で就寝となった。
もちろんきれいに洗ったタオルケットとおふとんを敷いて
部屋の隅にはしっかり「ムカデシャット」を置いた。
これでムカデの心配は無くなったのである。
婿さんも心置きなく朝まで寝られるだろう。
私も安心して就寝したのであった。

翌朝起きてみて私の目に入ってきたのは
玄関の上がり框に寝ている主人とリビングの床に寝っころがっている
婿さんであった。
つまり二人は酔っぱらってそのままそこで寝込んでしまったのであった。
そのおかしな姿にしばらく笑いが止まらなかった。
私のムカデ対策は今回は空振りであった。

物事はそんなものなのだ、準備万端と気合を入れても今回は用がなかったり
用意も何もない時に不意打ちでやってくる。
まあムカデシャットはこの夏の間はまだ効き目があるから
次回はムカデシャットのお部屋で婿さんには就寝してもらって
この効き目を実感してもらおうと思っているのである。


2012年7月27日金曜日

老化?

今日は暑かったです。
庭の睡蓮鉢に睡蓮が咲いています。
きれいなので写真に収めました。




本当はブログには楽しいこと、素敵なことなどを書きたいのだが
そうそうそんなことが毎日あるわけでなし・・・
ということで、この頃痛切に感じていることを書きます。

何かというと自分が老化してきたというのをしみじみ感じるようになったのです。
ここ数か月くらいからでしょうか・・
まず、忘れ物が多くなった、間違いが多くなった、
涙もろくなった、靴をサッと履けない、今何を取りに行ったのかわからなくなる、
面倒くさいことが嫌になった、一日にいくつものことが出来なくなってきた、
思っている通りに指先が動かない、今までの洋服が似合わなくなってきた、
目が良く見えない、よく聞こえないことがある、体がぶにょぶにょしてきた、
朝早くに目が覚める、マンドリンを弾いていても弾き間違いが多い、
言葉がすぐに出なくなって「あれ、それ」が多い、
集中力が無くなってすぐ休みたくなる、・・・・・・・・・・・・

まあ数え上げればきりがないのでここら辺でやめますが、
今まではなんとなくそういうことを少しづつ感じてはいたけれど
今は身に染みて感じているのである。
あーーやっぱり老化は誰にでも等しくやってくるのだ。
権力者も英雄も為政者もこの老化から逃れることは出来ない。
なるほど、と感慨しきり。
よく昔、自分の親が「年は取りたくないものだ」と言っていた。
やっと今になってその気持ちがわかるのである。
つまり自分がその状態にならないと何万回耳元で言われても
わからないのである。

でもだからと言って落ち込んではいられない。
職場では若い者にため息をつかれ、電車に乗れば人にぶつかり
探し物を年中していても、私はとりあえず毎日を大切に
生きていこうと思っている。
自分にできることは人に頼らずあてにされたら頑張って動いて、
いつまでも興味津々で行きたいと思っているのである。
・・・と思うのでありますが、先日も目の前の孫の名前がとっさに出ず
一通り全員の孫の名前を連呼しおまけに犬の名前まで呼んで
「それは犬!」と娘に怒られている情けない自分がいるのも事実なのです。





2012年7月24日火曜日

またまたムカデが

ムカデシャットを通販で購入してからムカデを見なくなった。
これは効き目があるのだと思っていたのであったが・・・
先週娘たち一家が我が家に一晩泊まったのであるが
朝、娘の「ムカデーー」という第一声に私はガバっと飛び起きた。
私は「ムカデ」という言葉にいち早く反応する癖がついている。
跳んで行ってみるともうムカデは押入れに隠れてしまったという。

この部屋に娘、婿さん、孫が寝たのであるが
何と朝、婿さんは腕になにやらよくわかんないものが這っていたそうである。
よく見るとムカデだったのだ。
よく咬まれなかったね・・・
それに孫が咬まれたらこれまた大変である。
もう我が家に二度と泊まってはくれないだろう。

そしてすぐにムカデ退治に躍起になった。
半分パニック状態で押し入れの布団をすべて引きずり出し探したら、
やっぱりムカデはいたのであった。
すぐに強力な殺虫剤でムカデはお陀仏となった。

なんでこの世の中にムカデという生き物が存在するのか、
それもよりによって我が家の部屋の中を這っているのか、
生活していく上で「なんでそうなるの?」ということはたくさんあるのである。


2012年7月22日日曜日

シャボン玉飛んだ♫


今日は孫のところへ行ってきました。
なんでも保育園で夏祭りがあるのでそれに行っている間
先月生まれたばかりの孫を見ていることになったのです。
本当は高校時代のマンドリンクラブで一緒だった友人が出演する
マンドリンクラブの定期演奏会に行くつもりでした。
まあでも孫のためなら仕方ないかとあきらめました。

行く前にコンビニでシャボン玉を買っていきました。
この2歳の孫は大喜びで吹きまくっていましたが、
どうもよく見ていると吹いたり吸ったりしているのです。
半分はシャボン液飲んでいるのではないかしら?

シャボン玉なんて何十年ぶりでしょうか。
狭い社宅のべランダで孫と一緒に「シャボン玉飛んだ~♫屋根まで飛んだ~♫」と
歌いながら吹きました。
なんだか幸せな時間がゆったりと過ぎていきました。

2012年7月20日金曜日

クジラのプール



去年孫のためにとジイサンが買ってあげたクジラのプールですが
やっと今年孫たちに喜んでもらえました。
先日の3連休中は3人の孫たちが泊りに来て大騒ぎでした。
猛暑でかなり参りましたがプールに入るのには良いお天気でした。


しっぽのところから水が出ます。


バアサンも孫の遊び相手でヘトヘト・・・
でもとっても楽しかった!
また来てね。
クジラのプールに水を張っておくからね。

ところが翌日プールをデッキに干しておいたら一晩でぺしゃんこになっていた。
きっとどこかに穴があいているのだろう。
みんな空気が抜けていた。
あ~、ジイサンとバアサンはがっかり。
穴をふさげればいいけれどもし修理できなければ
今度はもっとでっかくて滑り台なんかついているプールを買ってあげようと思っているのである。
こういうのを世間ではジジバカ、バババカと云うのである。

2012年7月14日土曜日

サボッテンな!


このサボテン、今から20数年前に買ったものですが毎年花を咲かせます。
どういうわけか枯れずに我が家に生き残っています。
特別世話をするでなく冬の間だけ玄関の中に入れるだけで
あとは放りっぱなしなのに・・・
園芸センターで思わず可愛らしい花の鉢植えなど買ったはいいが、
結局うまく育てられずに枯らしてしまうのがいつものパターンなのである。

ようは手入れ不要、砂漠の不毛地帯でも生き抜ける植物でないと
我が家では生きていけないのであろうか。
私の育て方にピッタリなのかもしれない。
ここ数日一日限りの花が次から次と咲いています。
サバテンの花はとても綺麗です。

この花を見ていると黙々と毎年花を咲かせ
苦節20数年、よく頑張っています。
なんだか「サボッテンな!」とこのサボテンから喝を入れられているような気がして
仕方ありません。

2012年7月8日日曜日

お宮参り

今日は先月生まれた孫のお宮参りでした。
日曜大安で神社もたくさんの赤ちゃん、ご家族で
にぎわっていました。
お婿さんのご両親と一緒に記念撮影。
赤ちゃんに羽織る着物はお婿さんのご両親が
孫のためにと誂えてくださいました。
本当にありがたいことです。

祈祷料もピンからキリまでで我が家は一番安い方。
でも祈祷は神社本殿で何組もの家族と同時ですから
何が違うかというと最後にもらうお札が値段によって
違うようです。
巫女さんが踊ったり神主さんがお祓いをしたりと
めったに見れない光景でした。

その後写真館へ行き写真撮影となったのですが
どうやっても赤ちゃんが目を覚まさず寝ているばかりで
とうとう家族全員だけの写真を一枚撮り、
赤ちゃんと若夫婦家族は後日の出直しとなりました。

その後、近くのホテルでお食事をとり無事お宮参りが終わりました。
祖父母、若夫婦家族が勢ぞろいして孫のお祝いができるのは
本当に幸せなことだと思います。
すべてに感謝いたします。




2012年7月7日土曜日

蓮の花


昨日お寺で偶然蓮の花を写真に収めることが出来ました。
自宅の睡蓮鉢に咲いている睡蓮と似たようなものと思っていましたが
蓮の花はもっと大きく、気高く威厳のある・・・という感じがしました。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」と言われます。
確かにお釈迦様の周りに咲いているという花だけあるのですね。

花の中心にある花托と言われる部分を見て
「これってレンコンみたい」とおもわずつぶやいたのですが
あとでよくよく考えてみたらこの地下茎が野菜として食べるレンコンなのですね。
蓮の花を見て即座にレンコンに結びつく・・・
「お釈迦様」「仏教」「蓮の由来」などなどもっと高尚な想像を一番にすればよいものを・・
宗教心に薄い私はここの始まりからしてもう違うのだと自覚したのであった。








2012年7月2日月曜日

デジカメを構える孫


孫はデジカメに興味を示しているみたいだ。
このしぐさがおもしろい。
ところでこの孫に私をただの「おばあちゃん」と呼ぶのではなく
「〇〇ばあちゃん」と私の名前を入れて呼ぶように教えてみた。
なんども一緒に声を出して私を指さしして呼んでみた。
あっというまに覚えてくれた。
うれしくって私は飛び上りそうであった。
後日娘から、私が帰った後もそう呼んでいたよ・・とメールがあった。
そうか、あと二人の男の孫にもおいおい教えなくてはと、
その日を楽しみに待っているのである。


2012年6月30日土曜日

パンダにパンチ






先日届けるものがあり孫のところに行ってきました。
少し見ないうちにどんどん大きくなっていきます。
6ヶ月になりましたが歩行器にのって部屋中をのし歩いています。
見るものすべてをつかみ、ひっぱたり押したりしています。
何でも興味がわくのでしょうね。
しかし男の子は本当に力強くてやることが元気一杯。
いつまでも見ていてあきないです。
このパンダにパンチをくれています。
そのうちこの歩行器から這い出てくるのでしょう。
そうなったら目が離せなくて毎日がたいへんでしょうね。

2012年6月29日金曜日

探し物

家の中で探し物をずっとしていた。
どこへいってしまったのかまったくわからない。
どうでもよい日常雑貨が見当たらない。

かかとソックスは私のような年配の女性は一年中必需品だ。
若い頃とはちがって「ひざ」も「かかと」もだんだんかさついて
就寝前はしっかりクリームを塗ってこのソックスを履いて寝る。
ところがこのかかとソックスの片方がどうしても見つからない。

これがないと困るのだからあきらめて買ってくることにした。
ところが今は時期的に置いていなかったり品切れだったりする。
店員さん曰く、「そろそろ暑くなるのでかかとソックスはここにあるだけです。」
そうだよね、梅雨時に「かかとソックスありますか?」なんて・・・

そこで在庫として残っていた他メーカーのものを仕方なく買ってきたのだが、
どういうわけかこのソックス就寝中に全部脱げてしまい
朝は何も履いていないのであった。
よく旅館で浴衣をきて就寝して朝起きたら帯1本のみが
腹に巻き付き浴衣は両サイドにはだけていた・・・という感じであろうか。
特別自分が寝相が悪いわけではない。
少し寝返りを打ったくらいで脱げてしまったりはだけてしまうのはその作りが悪いのだ。
これでは何の役にも立たないではないか。
こうなると今まで使っていたかかとソックスを手に入れたくてどうしようもなくなった。

数件お店を探し回ってやっといつものかかとソックスを手に入れることができた。
お店にたった1個埃をかぶってポツンと隅っこにあったこのソックスを見つけたときの
喜びったらなかった。
さっそくその夜から履いて寝たのであった。

数日後主人が自分のリュックサックから「これはなんだ?」と引っ張り出したものは・・・
あの失くした片方のかかとソックスであった。
どうしてリュックサックに入っていたのかいまだにわからない。
それにしたってやっと新しいのを買ってきたのになんでその直後に見つかるの?

探し物って夢中で探している時は絶対見つからない。
探すことに疲れ果てやがてあきらめという境地に入り、新しいものを
買ってくるという前向きな気持ちにやっとなって
買ってきたとたん見つかる・・・・
この時の気持ちってなんて表現したらよいのだろうか。

井上陽水の「夢の中へ」の歌詞はまさにそのとおりだ。

探し物は何ですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中も机の中も
探したけれど見つからないのに

まだまだ探す気ですか?
それより僕と踊りませんか?
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?

休むことも許されず
笑うことも止められて
はいつくばって はいつくばって
一体何を探しているのか

探すのをやめた時
見つかることはよくある話で
踊りましょう 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?

探し物は何ですか?
まだまだ探す気ですか?
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?
・・・・・・・

まさに名曲、私のためにあるような曲。
どうでもいいものを探しているのなら
もっと楽しいことしようよ、と言われているみたいだ。
この曲を口ずさみながら
また今日も探し物をしている私である。





















2012年6月25日月曜日

くもの糸


先週の読み聞かせは「くもの糸」であった。
皆も知っている芥川龍之介作のお話である。

人殺しの大泥棒のカンダタは地獄の血の池に落ちて苦しんでいた。
そこへ極楽のお釈迦様がカンダタは一度だけ蜘蛛を助けたことがある、とお慈悲をかけ
天上から蜘蛛の糸を垂らすのである。


しめたとばかりにその蜘蛛の糸を登りはじめるのだがふと気が付くと
次から次から血の池地獄に落ちた者たちがその糸を伝って登ってくるのに気が付いた。
カンダタはこれでは糸が切れてしまうと、上から「降りろ、降りろ」とわめくのである。



と、そのとたん糸はプツリと切れてカンダタはもとの血の池にまっさかさまに
落ちて行ったのであった。
そうして天上から一部始終を見ていたお釈迦様の目には
自分ばかり地獄から抜け出そうとするカンダタの無慈悲な心が
罰を受けてもとの地獄へおちて行く姿が映りました。

このお話を読むにあたって何度も私は自宅で読む練習をした。
そしてどうやったらこのお話の意味を低学年の児童にわかってもらえるか
考えていた。
この文章は地獄、血の池、針の山、罪人、責め苦とおどろおどろしい言葉が
並ぶのであるが、
その途中途中にお釈迦様、白蓮の花、極楽、美しい銀色の蜘蛛の糸・・・
と、対比されて清廉な美しい言葉が述べられている。
この対比がこの物語の背景になりそこに罪人の主人公の
心の中が描かれているのである。

大人になってもこの物語は怖くて恐ろしい。
でも罪人でも良いことをした行いは神様が見ていて下さるのだ・・・
という救いの光りも見える。
さて、この話を聞いた児童たちは今回はシーンとおとなしく聞いていた。
この子たちの心にどう響いたのか。
いつか大人になったこの子たちに聞いてみたいものだ。
けれど「覚えていなーい」と言われるか。
聞きたいけれど私がもう極楽か地獄へ行ってしまっているか・・・
と、考えて自分で笑ってしまったのであった。

2012年6月24日日曜日

お願いだから・・・


我が家の名犬レオはもう11歳になる。
一年前母親のメリーが死んでしまってそれ以来我が家では
大きな顔をして態度が生意気である。
来る人来る人に吠えまくり、我が家のまわりに生息する野良猫には威嚇し・・
といってもまったく相手にされていないのであるが・・・・
おかげでご近所では「あのうるさい犬がいる家」と言われている。

でも躾をあやまってしまったのは飼い主の責任であるがもう11年も経ってしまって
今さらどーー仕様もないのである。
この犬はオスであるが私にぞっこんである。
いつも私のあとをついて回り夜は一緒の布団で寝ている。
お風呂やトイレに入っている間は扉の前でじっと私が出るのを待っている。
私をうるんだ目で見上げ「奥様命」と言いたいようである。
先日孫が生まれ娘のところへ泊りで手伝いに行っていたのだが
私のいない夜に耐えかねたらしく下痢をしてしまっていた

もう半年も前であるが前脚の付け根に大きな腫瘍を見つけ
動物病院で見てもらったのだが悪性の可能性が高いということであった。
しかし手術をしたって本人を苦しめるだけであるから
これから先はなすがまま好きなように残りの犬生を送ってもらおうと思っているのである。
こんなやさしい飼い主をいったいこの犬はどう思っているのだろうか。

ところで本題であるがこの犬は昔から取り込んだ洗濯物の一番上に乗っかるのである。
昔はその頂上からご丁寧におしっこをしてくれていたのだが、今はそれはしなくなった。
私ははっきり言って取り込んだ清潔な洗濯物の上に乗っかられるのがいやである。
体の重みでしわになるしなんとなく腹立たしい。
ということでなにかいい案はないかと考えて・・・
ホームセンターで大きなカゴを買ってきた。
これに山盛りの洗濯物を入れておいてあとでゆっくり畳めばいいのだ。
これなら犬に乗っかられなくてすむと思った。

今日私は帰宅してこの犬を見て開いた口がふさがらなかった。
このカゴの中にしっかり入り込んで取り込んだお陽様のにおいのする洗濯物の
中に埋もれ幸せそうに寝ていたのであった。
もう怒るのも忘れ写真を撮った。
レオ君、お願いだから取り込んだ洗濯物の上に乗らないで頂戴・・
お願いだから・・・・









2012年6月19日火曜日

ゴーヤが・・・


今年はゴーヤを西側の窓に茂らせて節電に少しは貢献しようと思っている。
ということで3本のゴーヤを大切に育てている。
ゴーヤのつるが伸びて窓を覆い西日が遮られればかなり部屋の暑さも違うと思う。
主人が裏山から竹を切ってきてそれにネットを張り準備は万端である。

ところが今、午後9時現在季節外れの台風の真っただ中である。
暴風雨はかなり激しく庭ではさっきから物が倒れる音やら
何かぶつかる音がしている。
あーあ、きっとこのゴーヤたち、明日の朝はきっと見るも無残な
姿に成り果てているのだろうな。
しかしなんだって6月に台風なのかしら・・・・

2012年6月18日月曜日

孫のやきもち

2歳になる女の子の孫は弟が生まれて、
皆が赤ちゃんに集中しているので面白くないのである。
先日私は見てしまった。
何と人差し指を立てて赤ちゃんの顔の目をめがけて
目つぶししているのを・・・
そして最後に手の平で赤ちゃんのおでこを思い切りたたいていた。
それはもう弟の存在が憎らしくて仕方ないという感じであった。

もちろん叱ったのであるが大泣きしてしまった。
あぶないあぶない、気を付けないとなにをしでかすかわからない。
それでも赤ちゃんを見に行こうというし、きっと気になるのであろう。

この2歳の小さな胸の内は弟に対する嫉妬で一杯なのだ。
可愛そうに今まで自分一人に受けていた愛情をこれからは
弟と分け合わなければならないのだ。
よく昔から言われるが「下の赤ん坊より上の子供をよく見てあげなさい」と。
本当にそう思う。

こうやってだんだんと子供なりに受け入れていくのだろうけれど
精一杯我慢している気持ちが痛いほどわかり
何ともいじらしくばあちゃんはちょっと甘やかしてしまうのであった。





2012年6月16日土曜日

リラクゼーションサロン

昨夜は娘のところに泊り孫の保育園の送り迎えをして
買い物、食事の支度、2歳の孫の遊び相手をして早めに就寝。
今朝は生まれたばかりの孫の木浴を手伝い落ち着いたところで
自宅に帰って来た。
一晩留守にしただけでも迷犬レオはかなり寂しそうにしているらしく
私が帰った途端、うれしさで大騒ぎである。
こんなに喜んでくれるのは犬だけである。

首が回らない。肩が張る。背中がこわばる。目がかすむ。腕が上がらない。
もうひと月ほどこんな具合でつらい毎日であった。
原因は20年も続けてきたバトミントンを完全にやめたこと。
パソコンの見すぎ。
マンドリンの弾きすぎ。
孫の抱っこ。
この4つである。

家には、ばかでかいマサーッジ機があるが
これにかかるとどいうわけか気持ちが悪くなる。
やはり人間の手の方が絶対良いのである。
こうなったらお金を払ってでも何とかしなくてはならないと
今日イオンモールの中に入っている「リラクゼーションサロン」へ行った。
ようはマサーッジである。
首肩周り15分で1,029円、30分で2,058円、45分で3,087円、60分で4,116円だった。
とりあえず30分コースで施術してもらって
結果は・・・・・

VERY GOODでした。
帰りは目までもがパッチリ視界が良くなり肩は軽く首は回り,腕は鳥のように羽ばたき?・・・と、
バックを振り回してスキップをして帰って来たのであった。
なあんだこんな金額でつらい症状が解消されるのなら
もっと早くからいけば良かった。
自分の体に時々こうやって「ご苦労さん」を
してあげればいいのだと今さらながら気が付いたのであった。




2012年6月14日木曜日

誕生祝のケーキ


先日娘と孫が産院から退院して娘の自宅に帰ったので
その日は婿さんのご両親も来て婿さんのお母さんの手作りのお料理で
お祝いをしました。
私はデコレーションケーキを買って持っていきました。
文字は自分で書けるように文字用のチョコレートが付いていて
一緒に行った次女が書いてくれました。
2歳半の孫が大好きなアンパンマンを書いてみたのですが
あんまり似ていないようです。
にぎやかな食卓を囲みながらこうやってたくさんの人たちから
祝福してもらえる孫は幸せ者です。
私も3人の孫を抱ける幸せに感謝いたします。



2012年6月12日火曜日

花束


先日マンドリンの発表会に出たのですがその時聴きに来てくださった方から頂いた花束です。
ちょうど孫が生まれたことも併せてその方がお花をプレゼントして下さいました。
可愛らしい籠にピンク系のお花が活けてあって素敵です。
心がホッと温かくなりとても嬉しくなりました。

思えば発表会に出るようになって5年目になりました。
はじめの頃は夢中でしたがやがて上達しない自分に落ち込んだり
毎日の忙しさで練習が出来ず投げ出したくなったり、
年のせいか?練習してもすぐ肩が張ったり腰が痛いの、首が回らないのと・・・
特に今年は落ち込みが激しかったのです。
それでもこうやって会場まで足を運んでくださる方がいるのは
本当にありがたいことだとあらためてしみじみ思います。
そして自分の家族、周りの環境、健康に感謝しなくてはいけませんね。

しばらく息抜きのためマンドリンを休憩して
またリフレッシュしたらぼちぼち行こうかと思います。






2012年6月7日木曜日

弟を抱くお姉ちゃん


おととい生まれた弟をだっこするお姉ちゃんです。
赤ちゃんに添えた手がお姉ちゃんらしいです。
これからお姉ちゃんぶりを発揮するか焼きもちを焼いて赤ちゃん返りするかどっちでしょうか・・・・
楽しみです。

2012年6月6日水曜日

くらげほねなし


小学生も新学期を迎え新一年生も学校に慣れてきたようだ。
また引き続き一年間読み聞かせボランティアをすることになった。
私の担当はまた1,2年生になった。
低学年はまだ保育園児の延長みたいなところもあって可愛らしい。
低学年児童はたったの20名。

今回のお話は「くらげほねなし」
この絵本も我が家にしまいこんであったものである。
内容は竜宮城の乙姫様が病気になった。
病気を治すにはサルの生き胆が必要というので
カメが浜辺にいたサルをだまして竜宮城へ連れてくる。
浦島太郎と始まりは同じだ。
ごちそうや厚いおもてなしをされたサルであったが
何か変だと気が付く。

そのときクラゲが内緒話をしているのを偶然聞いてしまう。
それは自分の生き胆を取られるということだった。
サルは知恵を即座に働かせ生き胆を浜辺の松の木に干してきてしまったと嘘をつく。
そこで生き胆を取ってくるということでカメにのって浜に戻り
木に登ったところで生き胆を干したのは嘘だというのである。
結局竜宮城の乙姫様のお父様の怒りを買い、内緒話をしたクラゲが
罰をうけて骨を抜かれてしまう。
と言うお話し。

つまりとっさに機転を利かせることが自分の身を守るということなのである。
そして口は災いのもとだ。クラゲはまさにそのとおり。
低学年の子供たちにそこまでの読みはまだわからないだろうけれど。

子供たちに本を読んであげながら実は自分が絵本や昔話から今まで
考えもしなかった意味をこの年になってあらためて教えてもらっているのである。
いくつになっても「なるほど・・・」と思うことはたくさんあるのだなあ・・・・







2012年6月5日火曜日

三番目の孫





私の三番目の男の孫が今朝誕生しました。

朝、産院に入院したと婿さんから連絡がありました。
職場に休みの連絡を入れ、たぶん生まれるのはお昼頃だろうと思ったので
洗濯物を干してから車で産院に向かいました。
ところがまもなく携帯が鳴り娘本人からで、もう生まれたというのです。
もうビックリ仰天です。
娘は産院に到着した途端準備をする間もなくあっという間に生んでしまったようです。
あやうく途中で出産するところでした。
なんという安産でしょうか。
38週で2,750グラムの男の子です。
良かった良かった。
とにかく母子とも無事で。
これからどんな子に育っていくのか、ばあちゃんは楽しみです。
この子達の未来が平和な世の中でありますように・・・・





2012年6月3日日曜日

犬の気持ち

犬は人の気持ちがわかる。
これは長く犬を飼ってみて感じることだ。
ときどきスネオ君になってしまい何が気に入らないのか飼い主を困らせる。
この頃は私が忙しくてあまり可愛がってあげないからなのかお風呂マットに
おしっこをしてしまう。
してしまったときは私のそばに来ない。
どこへ行ってしまったんだろうかと部屋を捜すと
一番奥の部屋で壁に向かって座っている。
自分なりの反省のポーズらしい。
耳は当然後ろに折れて半分顔をこちらに向けるのだが
下から見上げるようになにか目で訴えている。
「ばれたか・・・」とでも言いたいようだ。
いつもの如く私は叱るのであるがその声を背中で聞きながら
低姿勢のままそろそろとどこかへ退散し始める。
その姿を見ると私も可笑しいのとまあいいか・・という気持ちになってしまう。

よく犬や猫の殺処分というニュースがテレビで報道していて
年間数十万頭という数字を聞いて私は胸が苦しくなる。
我が家のこんな小型犬でさえ人間の考えていることはよくわかっているのだから
当然捨てられたり捕獲されて殺処分される犬は自分の運命をわかっているに違いない。
何ともむごい話だと思う。
だから我が家の犬はどうしようもない出来の悪い犬だが
最後まで面倒を見てあげる覚悟はできている。


と、ふとこんなことを考えて
さっきホームセンターで買ってきてリビングの床に置いておいた
犬用のお徳用パック200枚入り「おしっこシート」をみたら
まわりがお池のようになっている。
「お池にはまってさあたいへん♫ ドジョウが出てきてこんにちは・・」、
と悔しさのあまり歌ってしまった。
我が家の迷犬は怒られて反省したのかと思いきや私にあてつけをしたのであった。
それも買ってきたばかりの包装パックされたおしっこシートに・・・
恐るべし犬の気持ち。
どっちが一枚上手なのか考えさせられてしまった。
こうやって今日も迷犬の後始末をため息をつきながら片付けているのである。


2012年5月28日月曜日

ムカデ退治 その2



通販で注文した「ムカデ忌避剤」が届いたのでさっそく部屋の隅々に置いたのであった。
「ムカデシャットは天然成分由来なのでペットや赤ちゃんにもやさしい」といううたい文句なので
当然ばあさんにもやさしいということなのであろう。
新築したフローリングにずうずうしく這い出てきたムカデに殺虫剤などを噴霧して
退治していたのだけれどふっと考えた。
ムカデってちっとやそっとでは死なない虫だ。
昔、むかでを掃除機で吸い取ってしまい、吸い取ったはいいが、じゃあそのあとどうする・・・
と云う難問にぶちあたり吸い込み口に紙を詰めて大騒ぎをしていたら
お姑さんが一言。
「ムカデは死なないから焼くしかないのだ」といって
割り箸で挟んでガスコンロの火であぶっていたのを思い出した。
その堂々とした姿は私にとって感動的ですらあった。
だからムカデがコロリと死ぬ殺虫剤は相当毒性が強いに違いない。
私たちじいさんばあさん夫婦だけなら毒性が強くったって別にどうでもよいし
少しは毒にあたって弱くなったらどうか・・・
などと陰口を言われそうである。
しかし小さな孫たちには良くないに違いない。

このムカデシャットはひのきの臭いが一日目はしたのであったが
すぐに臭わなくなった。
100円ショップでもムカデ忌避剤が売っていたのでこれは
枕元において就寝したのであるがあまりの燻製のような臭いに
夜中気分が悪くなりめまいがはじまり冷や汗が出てきた。
これはヤバイと思い違う部屋に持って行ったのだが
ムカデを退治するのか自分を退治するのかわからなくなってきた。

とそんなこんなでとりあえず今のところはムカデは出てこない。
この忌避剤のおかげなのか、もともともう這い出るつもりはなかったのか
わからないが単純な私はこれでしばらく恐怖から解放されると安心しているのある。
本当は私だって無駄な殺生はしたくないのである。
ただただ家の中に入ってきてほしくないだけなのである。
だから忌避剤が効き目があればそれが一番なのである。



2012年5月21日月曜日

丸の内にて


今日は世紀の金環日食の日であった。
私は日食グラスを買うのを忘れてしまって、どうしようかと考えていた。
テレビでは刻々と日食の様子をカウントダウンし始める。
これを逃せば数百年後と言われているしもう見るしかないと腹をくくり、
裸眼で数回ぱっと見た。
太陽が欠け始めているのが瞬間見えた。
本当は裸眼では絶対にいけませんと言われていたのに・・・
そのうちご近所さんの鉄工所を経営しているご主人が
仕事の溶接で使う仮面みたいなものを持って来たので貸してもらった。
しかし完全な金環の状態は終わってしまっていた。

今日は高校時代のマンドリンクラブの6人の仲間が数年ぶりに
集まることになり東京駅の丸の内に参集した。
東京駅はかなり復元が進んでいた。
なんて立派な建造物なのであろうか。しばし感動して見入ってしまった。
遥か昔、6年間もこの駅から職場に向かっていたのに
あのころの私は目先のことで頭がいっぱいでそんな感動をした覚えはないのである。
今になって思えば惜しいことをした。
そして以前勤めていたビルの前を歩き、郵船ビルディングの前を通り、ブリックスクエアに到着。


学生時代の仲間は長く会わなくともあっという間に昔に戻り
何の気遣いも気にせず会話が弾む。
お互い顔を見ればそれなりの年齢なのに気持ちは高校生のままである。
ミクニマルノウチでランチを取ったのだがメニューにいちいち〇〇産のほうれんそう、
トマト、マイタケなどと能書きが書いてあるのだけれど
自分の住んでいるところの産地なのであった。
なんだこれではわざわざ電車に乗って丸の内まできてお金を払って
自分の地元の野菜を食べるなんて・・・と笑ってしまった。
ほんの少しづつ体裁よく並べられているけれど
我が家なら裏の畑から収穫した野菜をすぐ食卓にのせて
山盛り食べることができるのであるから。


その後、丸の内を循環する無料のバスに乗ってビジネス街をしばし車窓より見学。
そして懐かしい東京会館でお茶にした。



この6人の仲間のうち今現在3人が長いブランクの後マンドリンに復活した。
私も含めて個人レッスンを受けて、サークルにも所属している。
いましみじみ思うのは若い頃マンドリンクラブを経験したことは本当によかったと思う。
「とりあえず健康、今のところ未亡人もいないし、なんとか子供たちも大人になったし、」と、
過ぎ去った長い年月を思い、
昔、木造の古い校舎で合奏した仲間とここで会えたことに感謝したのであった。
しかしおばさん達って本当にいつまでもおしゃべりがつきないのね・・・・


2012年5月19日土曜日

ムカデ退治


新緑の季節、私を悩ますものはムカデの出現である。
これさえなければ本当に良い季節なのに・・・・
今年は新築したばかりだからムカデなんか出るはずはないと思っていた。
ところが油断大敵、新築したリビングに次々と4匹のムカデが・・・・

悲鳴を上げたって家の者は反応してくれないから
自分で退治するしかない。
今はムカデ用の強力な殺虫剤が市販されていてうまくちり取りに
追い込んでスプレーすればあっという間にお陀仏である。
しかし、敵も去る者。
「ちり取り、ほうき、殺虫剤」の3点セットを用意する前に
家具の隙間に入り込まれたらもう最悪である。
この部屋のどこかにいると思うと気が休まらない。
足元にいたらどうしよう、ふんづけたらどうしよう、咬まれたらどうしよう、と
ずっとびくびくしなくてはならないからだ。

私は今まで3回も体にたかられた。
一回目は就寝中、首筋に這われた。
幸いこの時は咬まれなかったが寝室に響き渡る悲鳴に家族のものはあきれていた。
2回目は天井から首筋にポタッと落ちてきて
襟元から服に入ってきた。
この時はパニックになって服を脱ぎ棄て裸になったまま
脱いだ服のどこかに張り付いているムカデを探した恐怖は忘れられない。
3回目はGパンの裾から内側を伝って中に這い上がってきて
なにか変だと気が付いたときはもう膝まで来ていた。
Gパンの上から思い切りたたいた途端咬まれた。
いままで経験したことのない激しい痛みだった。
この時もパニックになってGパンを脱ぎ捨てたが
子供のムカデが出てきたのだった。
下半身脱いだみじめな格好で私は泣いていた。

これが人様の前だったら脱ぐに脱げず、かといって
そのままでは失神してしまうだろうし考えただけでもぞっとする。
と云うことで今年からは自衛をしようと考え
ネットでムカデ退治を調べたら「ムカデ忌避剤」というのが
売っていた。
殺虫剤ではなくムカデが嫌いなヒノキの抽出成分のどうたらこうたらを
使ったもので人間にもペットにも無害だという。
それを部屋の隅に置くのである。
早速申し込んだので明日届くだろう。
この忌避剤が本当に効いてくれることを今は切に願っているのである。