2011年12月23日金曜日

小さな幸せ


孫はあさって産院から退院予定である。
この孫が生まれる一週間前に娘と地元のふとん屋さんへ行って
ベビー布団を一式買ってあげた。
男の子だからふとんの柄は青にして、
シーツとカバーはトーマスの機関車と洗い替え用にスヌーピーの柄で作ってもらった。
そういえば私の母も昔同じように赤いうさぎの柄のおふとんを孫用にと
買ってくれたっけ・・・

今日はお天気も良くこのシーツを使う前に一旦洗うことにした。
竿に干していてふっと30年前の自分を思い出した。
同じようにこうやっておしめを干していたなあ。
あの当時は紙おしめなんて一般的ではなかったし、
二人の娘がおしめをしている時もあって一日7、80枚も洗っていた。
今考えるとよくやったと思う。

朝の冷え込みは嘘のように暖かい日中。
竿に干されて風に揺れている孫の洗濯物。
しばしそれをながめながら小さな幸せに浸っていました。

2011年12月20日火曜日

母と子



昨日12月19日孫が誕生しました。
娘にとっては初めての子供です。
私にとっては2番目の孫になります。
男の子は私は育てたことがありませんし自分も男の兄弟はいません。
ですから男の子ってどんな感じなのかこれからとても楽しみです。

ちょっと毛深い小さな赤ちゃん、とにかく無事生まれたことを
感謝して元気に育ってほしいと思います。
そしてこの子たちの時代が平和でありますよう・・・
ばあちゃんの願いはただそれだけです。

2011年12月16日金曜日

なめこ


桜の原木になめこの菌を埋め込んで、1年以上経ちました。
今こんなにたくさんのなめこが採れました。
このなめこを使ってなめこ汁を作ります。
なめこ特有のぬめりが出て本当に美味しいです。

でも時々不安になります。
東京でも原発事故の影響で放射能が高いところもあるという
ニュースを聞くたび、実は何もわからないままそういった汚染された物を
食べているのではないかと・・・
自家製の野菜はいちいち線量を測るわけではなし
実際はどうなんだろうかという気持ちです。

お店に並んでいるものだって本当のところはどうなんだろうか?
自分の年齢を考えるといまさら気にしても仕方ないと思うけれど
これからの若い人、子供たちのことが気にかかる。
なんとなく今は落ち着きを取り戻したかのように見える日常だが
時々不気味な気持ちがわき上がって来るのを
押さえることができないのである。

2011年12月10日土曜日

かさこじぞう


昨日は今年最後の読み聞かせボランティアだった。
なるべく季節に合った日本昔話を読んであげようと思っていたので
今回は「かさこじぞう」にしたのであった。

朝、家を車で出ようと思ったら家の前の道路は事故で大渋滞。
これではとても間に合わないと思い
走ったり、歩いたりしながら小学校への20分の道のりを急いだ。
途中、遅刻しそうな小学生3人が学校へ向かって急いでいたが
事故処理が終わったお巡りさんが
この子供たちをパトカーへ乗せていた。
「私も小学校へ行くのです。乗せてください。」と言おうと思ったら
間に合わず行ってしまった。
そうして学校に着いたときは日頃の運動不足がたたり息が上がってしまっていた。

「かさこじぞう」のあらすじは
笠を編んでおじいさんが市へ売りに行く。
一つも売れずがっかりして帰ってくる途中
雪の中で道端に並んで立っているお地蔵さんたちに
一つ一つ笠をかぶせてあげるのである。
しかし笠が一つ足りずおじいさんがかぶっていた手拭いをかぶせてあげる。
いよいよ明日は正月という夜更け外で何やら重い荷物を
運ぶ音がする。
外にでてみるとなんとお地蔵さんたちが
お正月用のお餅やら野菜やらを運んでくれたのであった。

読んでいる間いつも集中できない児童がいて
先生の注意もまったく耳に入らない。
途中でどこかへ行こうとするし寝転がったり声を出したりと・・・
先生も大変だ。
最後に子供たちが感想を述べてくれたのだが
どの子も子供らしい意見だ。
ところがそのちょっと困った君がいきなり発言した。
「お地蔵さんはおんがえしに来たんだよ!」と
全く違う方を向いて発言したのだった。
集中できないから人の話を聞いていないと思っていたけれど実は
よーくわかっているのかもしれない。

でも読み手としては真剣に聞いてほしいなあ。
だって何を読んであげようか、といろいろ考えて
家で何回か声を出して練習しているのだから・・・
「今年の私の読み聞かせは今日でおしまいです。
来年の1回目の読み聞かせはこわ~い話をします。
ではまた来年!」と言って今年のボランティアは終了した。

来年1月の初めのお話は雪にちなんだ怖い話を読むつもりである。
だから怖い雰囲気を出すためまた何度も練習するつもりなのである。
ちゃんときいてくれるといいな・・・と
今から心配しているのである。

2011年12月6日火曜日

薪ストーブのありがたさ


このところ寒い日が続き薪ストーブが大活躍だ。
使い始めてコツもわかってきてやはり使っていた人が言ったとおり
本当に薪ストーブの暖かさというのはほんわりと暖かく気持ちが良い。
夜就寝前に最後の薪を1本くべてから空気口を絞っておく。
すると朝起きたとき部屋は何ともいえず暖かい。
また朝仕事に行く時はそのままにして出かけてしまうのだが
夕方帰宅するとやはり部屋はほんわりと暖かく
また燠が残っている。

確かにストーブの周りは木くずや灰で汚れたりするし
薪を外から運ばなくてはいけないけれど
この薪ストーブの良さを知ってしまうと
他の暖房器具では物足りなくなる。
私も初めは賛成ではなかったのだが
今は寒い日は早く家に帰って薪ストーブにあたりたいとまで
思うようになってしまった。

ところで火の扱いが苦手な私は薪ストーブをつけることが
こわくて出来なかった。
よって主人がいない時はひたすら帰ってくるまで寒くても
我慢をしていたのであった。
でもいつまでも人を頼っていてはいけないと思い
薪ストーブのつけ方を教えてもらった。

まず新聞紙を丸めて火をつける。
そこへ裏庭にある廃材の中から剥いできた
薄いベニヤ板の皮を乗せる。
そこへ細い薪を何本かくべて下の空気取り入れ口の扉を
一気に開ける。
すると火が燃え上がる。
頃合いを見計らって今度は通常の薪を1、2本入れる。
すると薪が燃え上がり始め部屋はぬくぬくと暖まり始めるのである。
そして燃えている火をボーっと無心に見つめている。

ただ思ったより薪の消費が多くて
このままでは一冬持たないのではないかと、心配になってきた。
ここはひとつチェーンソーで木を切るのが大好きなのであるから
「ジイサンは山にしば刈りに・・・」と頑張ってもらいたいと思っているのである。

2011年12月5日月曜日

喪中ハガキ

88歳、101歳、86歳、84歳、
最近家に届いた喪中ハガキのお亡くなりになられた方々の年齢である。
日本人は本当に長寿になったと、こんなところでしみじみ思う。
差出人は私と同年代の人たちだから親が長生きしてくれたのだなあと
少しうらやましく思う。

喪中ハガキをみてうらやましく思うのは不謹慎であるが
本当の気持である。
私が30歳の時私の父は亡くなった。
年が明けると私はその父の亡くなった年齢と同じになる。
あの時はそんなに感じなかったのだが今自分がその年になって
思うのは、父はまだまだ若かったのだと思う。
そして当時私は自分の生活のことで手一杯で大した看護も出来ず
父を最後看取ることさえできなかった。


今もし父が生きていたら、今になってやってあげられることは
たくさんあったのにと残念に思う。
ゆっくり昔の話を聞いてあげる、どこか旅行にでも連れて行ってあげる、
一緒にお酒を飲む、元気でいてくれたらの空想だけれど。
また今年も友人から届いた喪中ハガキを読むたび
何とも言えないうらやましさと悲しさが胸に去来するのである。

2011年12月4日日曜日

目薬



この1週間、パソコンで目を酷使して痙攣してきたので
思いついて疲れ目用の目薬を差した。
そこで気が付いたのだが、なぜ私は目薬をうまく差せないのだろうか。
一発で瞳に点眼できたためしはない。
昔からそうなのだ。
物を見る器官に薬を差すのにうまくできない・・・・
というおかしな事実に気が付いた。


やはり目に何かが近づいてくるというのはそれを避けようと
無意識に拒否してしまうのだ。
この話を職場で同僚に話したら彼女は鼻の穴を膨らませてこう云った。
「あら、女優差しって知らないの?目尻から薬を差すのよ。
何も片手で目を開らかなくったって、上を向かなくったって
口を開けなくったって、少し顔を横に傾けて
目尻から差せばなんてことないわよ。
女優さんが演技前に差す差し方よ、私は女優差しよ!」
と女優のように実技指導をしてくれた。

ふ~ん確かに女優らしい差し方だ。
私のように真上を向いて片手で目をバッチリ無理に開けて
ついでに口まで開いて「あ~」などと声まで出して
目の周り中に薬を差しまくる・・・
恰好は悪いし無駄なことこの上ない。
もうこれからは私は女優差しを練習して
スマートに女っぽく目薬を差すつもりでいるのである。

2011年11月24日木曜日

組み立て音痴

昨日洋服が何着も掛けられる洋品店にあるようなハンガーラックを
自分で組み立てた。
通販で購入したものだが今どきの簡単な棚やらラックなどは
自分で組み立てるようになっている。
「組立て代は別途有料です」なんていうのも意外とあるから
私みたいに組立てが苦手な人も結構いるに違いない。

我が家は通販で頼んで自分で組み立てた家具のようなものは以外とある。
しかし主人はどういうわけかこの組み立てを一切手伝ってくれない。
どんなに私がうまくできないとか騒いでも知らん顔だ。
だいたい常識的な夫婦だったらご主人が組み立てるだろう。
奥さんが「あなた今度の休みに組み立てておいてね」というのが普通だと思う。
だから我が家は普通ではないのだ。

ということで毎度の如く自分で組み立てることになった。
私は能書き、取扱い説明書等、本来読むのが大嫌いだ。
ようは面倒くさがりというか・・・
なのでついつい適当に飛ばし読みして勝手に組み立て始める。
するとここは「取り説」を読まなかった罰として途中で行き詰る。
でもまあいいやとどんどん作業を進めると
「あーー。やっぱり違う」という悲劇に見舞われ
結局初めに戻らなければいけなくなったりする。

部品というかネジやらボルトやらワッシャーがいくつか余ってしまい
本当はどこかに使わなければいけないのに
「もうここまで出来たからこのまま行こう、」と満足して出来上がってしまうのである。
当然たてつけもガタつき、扉もひとりでに開いてしまったり・・・
結局素人が組み立てたものは所詮こんなものなのだ。
でもまあいいか・・とあきらめる。

その上、以前のブログでも書いたが私は
方向音痴、結び目音痴、空間音痴である。
だからうまれつきこのようなものは苦手なのだから
組み立て音痴は当たり前である。
このたびの家の増改築で大工さんの仕事ぶりを
ずっと観察する機会に恵まれたが本当に感心してしまった。


けれど組み立て音痴が今迄我が家の棚やらラックなどを
組み立ててきてそれが何とかなってきているのだから
世の中なんてなんでも何とかなってしまうのだと
妙に納得したのであった。

ところで昨日組み立てたこのハンガーラックであるが
やっぱり取り説をちゃんと読まないで始めた罰として
完成後フックが余ってしまい、泣く泣く途中まで
分解してどうにか完了したのであった。
あとで主人に「出来上がったのか?」と聞かれたけれど
「手伝ってもくれないくせに何を言っているのよ・・」と思いながら
「まあね~」といい加減な返事をした。
なんとか仕上がったハンガーラックを見て結構
自己満足している私である。

2011年11月22日火曜日

東京タワー



きのう東京タワーに上りました。
ちょうど黄昏時に展望台に上り、都心の暮れゆく様、
宝石のようにきらめくビル群の美しさにしばし見とれてしまった。
展望台はわざと暗くなっていて外の夜景が美しく見えるように
配慮されています。
展望台を一周すると都心をあたかも一周したように感じられ
東京は本当に美しい。

私は小学1~2年生の頃私のおじいさんに連れられてこの東京タワーに上った記憶がある。
もう50年ぶりと言うことだろうか。
確かこの展望台の売店で森永キャラメルを買ってもらった様な気がします。
おじいさんと都心を見下ろしている病弱で神経質な小学生の私が
今そこに立っているような気がしました。
そうして今の自分と子供の自分がお互いを見つめているような不思議な錯覚。

50年という時間の流れなどあっという間、
大したこともしないくせに時間ばかりがどんどん過ぎ去り
気が付いたらあの時一緒に上った私のおじいさんと同じように
自分が「おばあさん」と呼ばれるようになってしまっていた。
いつか孫が小学生頃になったら連れてきてあげたいと思った。
この調子ではまた私の孫が50年後この東京タワーに上って
「そういえばおばあさんとここに来て森永キャラメルを・・・」などと
思いめぐらすのもそう遠い先のことではないかもしれない。


スカイツリーを見上げて・・・



実は今日は「はとバス」に乗って東京駅から出発
国会議事堂、ホテルでバイキングのお食事、築地散策、スカイツリー、
最後にこの東京タワーだったのである。

バスの車窓から眺める景色に時々昔と変わらぬ東京を感じ
とっぷりと暮れた東京駅丸の内側で黄色いバスを降りたのであった。
振り向くと黒々とそびえたつオフィス街からたくさんのサラリーマンたちが
吐き出されて皆一心に駅に向かって家路を急いでいた。

「30年前、私もこの駅から会社へ通っていたのよ」と一人つぶやいたけれど
人波に押されたおのぼりさんが帰宅を急ぐサラリーマンの流れを
邪魔しているようであった。
私には近くて遠い東京都心である。

2011年11月19日土曜日

寝顔


先日我が家に車で遊びにきた長女の孫ですが着いたとき眠っていました。
そのまましばらくながめていましたが小さい子はどうして同じ格好で長い時間
そのままの姿勢で眠れるのでしょうね・・・

まもなく2歳になる孫は人見知りの激しい子で私にちっともなついてくれません。
そばに行くとプイと向こうを向いてしまいます。
本当はおんぶしたり、おばあちゃん!などとなついてほしいのに
現実は上手くいきません。
まあ焦らずなついてくれるのを待とうと思います。



今日次女の婿さんのお母さんと私と次女と女三人でお昼のお食事を
しました。次女は来月初めての子が生まれる予定です。
男の子です。私にとっては2番目の孫です。
来月早々我が家に里帰り出産のため帰ってきます。
この婿さんのお母さんにとっては初めての孫となるので
楽しみにしている様子がよくわかりました。

そして来年6月頃3番目の孫が生まれる予定です。
この孫は長女の二番目の子になります。
なんだか「子孫繁栄」というまっただ中にいるような気がします。
自分のたいした血筋でもないのですが、
DNAが続いていくのかと思うととても不思議な気がします。

2011年11月18日金曜日

ハエたたき


これはシュロでできているハエたたきです。
昔から我が家にあリました。
この度の家の増改築の際ほとんどの物を処分してしまったのですが
どういうわけかこれは残っていました。
なかなか味のあるハエたたきで100円ショップで売っている
プラスチックのハエたたきとは違います。

ハエは夏の時期の虫と言う感じがありますが
いえいえどうして11月になるというのにいまだに生き残っているのです。
しかしもう動作は鈍いし、まもなくお迎えがくるのでしょうか、
最後の力を振り絞って家の中で食べ物にたかったりしてうっとおしいです。
しかし今ならハエの観察をするのにはちょうど良いです。

昔高校生のとき英語の先生で「ハエ」というあだ名の男の先生がいました。
ハエのように両手をいつも刷り合わすのが癖でした。
体育祭の仮装行列でこの先生にハエの格好をさせて
グランドを練り歩いた記憶がありますがそれは高校生だから
許された懐かしい思い出です。

観察の結果わかってきたことがあります。
ハエは賢いです。
さんざん頭の周りを飛び回ったりしてさあ、ハエたたきでたたくぞ!と
ハエたたきを用意するといつのまにやらいなくなります。
しかたなくハエたたきを置いておくとまたやってきます。
なんだかハエに馬鹿にされているみたいです。

それとハエの好きな場所がわかりました。
今時分のハエは体力がありませんから暖かくてつるつるしているところが
好きなようです。
たとえば電気ポットの上とか炊飯器の蓋あたりにじっとしています。
そのようなときはハエたたきでやっつけるチャンスですが
まもなく死んでしまうしかわいそうかなと思ったりします。
あともう一つハエが好きな場所、それはピカピカ光るおでこや
つるつるした頭です。

主人はしょっちゅうたかられていてくやしがっています。
ハエの好きな場所を知っている私は「やっぱり・・・」などと思いますが
決して口には出しません。
ましてやハエたたきなど使えるわけがありません。
もうしばらくの命、そっと見守ってやりたいと思います。

2011年11月17日木曜日

舌きりすずめ



今日の図書ボランティアは「舌きりすずめ」だった。
直前まで「こぶとりじいさん」を読もうと思っていたのだが
他のボランティアの方が「こぶとりじいさん」を読んだことがわかって
急きょ「舌きりすずめ」に決めた。


すずめがおばあさんの洗濯のりをなめたことから物語は始まるのだが
今どきの子に「洗濯のり」ってわかるかな?と思ってしまった。
私が子供の頃まだ近所のおばあさんが和服をほどいて
タライで洗ってのりをつけて一枚一枚板に張り付けて乾かしている光景を
覚えているのだが今の子供にそれを想像しろと言っても無理だし・・・

でもなんとなくイメージはわかってもらえるかなと勝手に判断して
読み始めた。
いつもの如く大あくびをしている子、だんだん寝転がってくる子、
落ち着きなくそわそわしている子、鼻くそをほじくっている子、
隣の子にちょっかい出している子。。。
と、まあいろいろな子がいるがそのたび先生が注意をしている。

私も子供の頃以来真剣にこのお話を読んだことがなかったので
この年になってしみじみ考えてしまった。
だいたい昔話はお爺さんの方がいいお爺さんで
お婆さんは悪いお婆さんが多いような気がする。
お爺さんが可愛がっていたすずめを洗濯のりをなめたぐらいで
お婆さんはハサミで舌をちょん切るなんてなんてことだろう。
そしてお爺さんがすずめのお宿を捜して帰りにもらったものが
小さいつづら。お爺さんは小さいつづらをもらったのだ。
なんて遠慮深いのだろう。
でも今の子って「つづら」って意味わかるかな?
荷物が重ければすぐ宅急便だものね・・・

持ち帰ったつづらの中には宝物がザクザク。
それを見たお婆さんはすずめのお宿に行き
大きなつづらをもらって帰る。
欲深いお婆さんならではの行動だ。
途中、中身を見たくなりフタを開けると中からは
大入道、大ムカデ、三つ目小僧、ガマ、ヘビが出てきてこんばんは~。

というなんともおもしろい話なのだが
「こぶとりじいさん」も「花咲か爺さん」も「舌きりすずめ」も「笠子地蔵」も
みんないい爺さんだ。
なんで昔話は爺さんがいい爺さんなのだろうか?
昔々いい婆さんがいました。と始まるお話はないような気がするのだが。


やっぱりこんなところにもまずは男優先、というか
爺さん優先、という昔の社会を感じてしまうのである。
現実は頑固で偏屈で短気で自分が一番正しいと思っている爺さんが
世の中にはいっぱいいるのになあ・・・
読み聞かせをして自分が勉強させてもらっていることに
気がついた一日でした。

帰りに校長先生に「今日の子供たちの反応はどうでした?」と
聞かれて、何と答えてよいかわからず
「やはり日本の昔話はいいですね。いろいろ教訓が込められていますね」
などとちょっと偉そうなことを言って校舎を後にしたのだった。

2011年11月15日火曜日

柚子


我が家の柚子が植えてから今年初めて
こんなに大きくそしてたくさん実をつけました。
今迄2、3個、それもゴルフボール程度の小さな実でした。
それが今年はどうしたことでしょうか。

柚子はお料理にも重宝しますしお風呂に入れてもいいし、
お菓子作りやジャムでもいいしと、本当にありがたいかんきつ類です。
柚子がお店に並ぶとそろそろ今年も終わりだなあと感じます。

「桃栗三年柿八年、柚子のバカメは十八年」とよくお姑さんが言っていました。
本当に実が成るまで時間がかかるのですね。
待っているじれったさからバカメなどともじったのかもしれません。
簡単にはいかないけれど時間をかけてやっと開花したものは
それなりの価値があるということなのでしょうか・・・
人間でいえば「大器晩成」というところでしょうか。

自分は早咲きでも大器晩成でもなかった・・・
などと柚子を見るたび思うのであります。

2011年11月13日日曜日

ハーレーダビットソン

ハーレーダビットソンというバイクはなかなかカッコイイ。
若者ではなくそれなりのおじさまが乗るからカッコイイのだ。
よく高速のサービスエリアに集団で休んでいるところを見かける。
股を大きく開き乗る格好、鋲やらエンブレムを打ち込んだ皮ジャン。
エルビスプレスリーのジャケットの如く袖口やらにフサフサした飾りが
何とも言えず楽しい。
腹の出た体型だって皮のパンツも似合ってしまうし、
アメリカの警官がかぶっているようなヘルメットだって
本当はヘルメットをとれば禿げ頭かもしれないけど
サングラスも手伝ってどういうわけかカッコよく見えてしまう。

それにあのエンジン音、普通のバイクとは全く違うし
きっと運転したら気持ちいいのだろうな。
とにかくバイクだけではなくカッコからすべて決まらないと
ハーレーダビットソンに乗っているとは言えないのではないか。

話は変わるが私は昔、免許取り立てで原付バイクで走っている時
田植えが終わったばかりの田んぼに落っこちてしまった。
バイクは土手に引っ掛かり、自分は宙を切っておたまじゃくしがいる
田んぼに足から着地した。
その時のみじめさと怖さはずっと忘れられず
もう二度とバイクは乗らないと誓ったのであった。
けれどハーレーを見るとなぜかドキドキしてしまうのである。

私がまだ子供の頃よく父の叔父が家にやってきた。
この時の父の叔父はもう80歳近かったと思うが
お洒落でダンディーで普通のおじいさんとは全く違う雰囲気を持っていた。
聞くところによるとまだ日本にハーレーダビットソンが数台しかない時代
このハーレーの後ろに女性を乗せて「青梅街道」を飛ばしたものだった、と
言う話をよく聞いた。「青梅街道」というところが時代を感じさせる。
道行く人がみなびっくりして振り向いたものだという話を懐かしそうに
嬉しそうに話していた。
この叔父さん放蕩がたたって商売を傾けてしまったそうである。

ということでハーレーダビットソンは私にとって
子供の頃聞いたこの父の叔父さんの話やら
映画の「ターミネーター」でシュワ様が乗っているシーンや
ときどき見かけるおじ様たちの颯爽と走る姿などが
まぜこぜになってハーレーダビットソンはカッコイイと思っているのである。

おととし大事な昔からの仲間が亡くなってしまったが
彼はこのハーレーダビットソンにのって日本中を走った人だった。
オートバイ好きの主人は彼のように自分もいつかはハーレーに乗るのだと
決めている。
この頃しきりにインターネットで何か検索している。
覗いたらやっぱり中古のハーレーダビットソンを
見ていたのだった。
「ハーレーなんかうちでは買えないわよ」と言いたい言葉を
ぐっと飲み込んだ私であった。

2011年11月9日水曜日

電気ドリル



やっと増改築も終わりに近づき家の中はひととおり完了。
あとは外回りを残すのみになりました。
昨日は電気屋さんが来て井戸の配線工事が終わりました。

テラスの鉄骨の錆がひどかったのでこれは塗装屋さんに頼み塗り替え済み。
そして今日はテラスの屋根をポリ化波板で主人と張ったのです。
材料はホームセンターで購入しました。
主人が上から波板を押さえ私が脚立に乗り下からドリルで穴を開ける
そしてボルトで留めると言う作業です。
なにしろ電気ドリルなんぞ歯医者で歯を削られることはあっても
自分がドリルで穴を開けるなんて考えてもみなかった。

「電気ドリルなんて怖いから嫌だ」と言ったら「嫌だってやるしかないだろう」と怒られ
渋々始まった作業。
このマシンガンのようなドリルは結構重く拳銃のように持ち
引き金を引くように人差し指でスイッチを入れます。
そうするとすごい勢いで先端が回転を始めます。
板の屑が飛び散るので初めは目を半分閉じながら
おっかなびっくりのへっぴり腰だったが
だんだん要領が呑み込めてあっという間に作業は完了した。



見事にテラスの屋根が新しくなりこれで10年は持つだろう。
しかし電気ドリルって結構面白い。
どんどん穴を開けていくうちいろんな所を開けたくなってしまった。
これはけっこうストレス解消になる。
何でもやってみるもんだ、とつくづく感じた私でありました。

2011年11月5日土曜日

泳げ鯛焼き君


これは鯛焼きです。
近くのスーパーの入り口で年配の夫婦が屋台を出して焼いています。
1個100円、あんこがいっぱい入っていて皮も目いっぱいはみ出していて
鯛の格好には見えないけれどとても美味しいのでいつも行列ができています。
屋台のご主人は無愛想でいつも怒った顔をして鯛焼きを焼いています。
一度だってお客様に「ありがとうございます」と言ったことはありません。
でも奥さんが全く正反対の愛想の良い人です。
世の中ってこうやってうまくできているのだなあと、思います。

先日この鯛焼きを買ってきたのですが結局食べきれず困っていたところへご近所さんがまたもや
同じ鯛焼きを5個もくれたのです。
ありがたいけれどどーしようという心境でした。
もったいないので毎日1個をノルマにオーブントースターで焼いて頑張って
食べました。
しばらく鯛焼きはいいです。
昔「泳げ鯛焼き君」という子供向けの歌が流行ったけれど
あの歌詞の一部の
「お腹のあんこが重いけど~」というくだりが
どうも自分に当てはまって仕方ない1週間でした。

2011年11月2日水曜日

薪ストーブ試運転


だんだん寒くなってきていよいよ薪ストーブをつけてみた。
本当は「火入れ式」なるものを仲間を集めてやろうなどと
云っていたのだがなにしろ増改築がまだ終わらず
そうこうしているうちに11月になってしまったのだ。

着火は新聞紙をまるめて簡単に火がついた。
薪ストーブの威力は全くすごかった。
あっという間に部屋が暖まる。
そして火が消えてもいつまでもほんわかと暖かい。

しかし薪の乾燥が不十分でタールが発生したようで
それが煙突から垂れて壁と煉瓦にしっかり染みついてしまった。
私はパイン材の壁に付いた黒いシミをみて大きなショックを受けた。
主人もボー然と見ていたのでかなりショックなのであろう。
そして燃えている最中何度も扉を開けて覗いたりしたものだから
部屋の中に煙が充満してしまった。


薪を燃やしている間はどうしても部屋がきな臭い。
薪ストーブの周りは薪を置いたりしたものだから
木くずなどが散らばっている。
主人はうっかりストーブの扉のハンドルの部分を素手で
触ってしまいやけどをしてしまった。
孫が遊びに来たときは薪ストーブは使えないな。


やはり楽な暖房設備に慣れていた私たちは
まずこれからこの薪ストーブの特徴をよく理解して
上手く付き合っていくしかない。
体力がなくなったら薪ストーブは無理だ。
でも今、巷では薪ストーブはかなり人気らしい。
ご近所さんでも薪ストーブの家は数件ある。
皆口を揃えて「薪ストーブはいいよ」と言う。
だからこれからコツがわかればきっと我が家でも
「薪ストーブにしてよかった」と思うに違いないと思いたい。

とにかく今は主人は薪ストーブに燃えているから
傍で何を言ってもだめだろうから
しばらく好きにやってもらって、
いずれ使わなくなってしまっても
部屋のインテリア、金庫などにすればいいのだと
遠い将来を私は考えているのである。
けれど一つ言わせてもらうとじっとストーブの火を見ていると
なぜか心が安らぐというかホッとする気持ちになるのは確かである。

2011年10月31日月曜日

不思議な視線


この絵画はオランダの17世紀の画家フェルメールの作品で
「真珠の耳飾りの少女」あるいは「青いターバンの少女」と言われる
作品の複製画です。
インターネットの通販で安価で手に入れられます。
購入したときは毎日この作品に見とれていました。

憂いを含んだ少女の瞳、何か言いたそうな濡れた唇、
黒の背景に黄土色の服と頭に巻いた青のターバンのコントラスト。
大粒の真珠が見事に光に反射している様。
振り向いた瞬間をとらえたのでしょうか。

やがてこの絵の不思議に気が付きました。
この少女の目と自分の目を合わせて、自分が歩いて移動して行っても
少女はづっと私から目を離さないのです。
右に行っても左に行ってもづっと私を見ている。
下から見上げても上から見下ろしてもづっと私を見ている。

これは何か絵画を描く時の手法なのでしょうか。
私は絵画を描いたことはありませんのでわかりませんが。



家の増改築のため飾っておいた壁からこの絵をおろし壁に
立てかけていました。
夜部屋に入りこの絵を見るとこの少女と目が合います。
ちょっと怖くなって目をそらしてまた見ると目が合います。
歩きながら目をそらさずづっと見ているとだんだんこの少女が
とても怖い目つきになってきます。
目を剥いてくるのです。
なんだかこの絵が怖くなってしまいました。

ある日主人が「この絵の少女にづっと見られているみたいだ」と言い出しました。
今は裏返しにして壁に立てかけてあります。
明るい陽の光の下で見る分にはいいのですが・・・
この絵を手放そうと思っています。
なんだかづっと見られているみたいで・・・
不思議な視線です。

2011年10月28日金曜日

突然の訃報

同じマンドリンサークルの女性が突然急逝されました。
前回の練習にも変わりなく出てきていましたし、
なにより9月の定期演奏会では素敵なブラウスを着ていて
とても印象に残っていました。
ご自宅で心筋梗塞でお一人で亡くなってしまったそうです。
今日告別式にお焼香に行きましたが何か信じられず夢を見ているような感じでした。
奥様に突然亡くなられたご主人は何か哀れを感じてしまいます。

ふと自分の場合を考えてしまいました。
もし私が突然死んでしまったら主人は印鑑の場所さえわからないだろう。
どんな保険に入っているのかもよくわかっていないし。
犬の世話だってかわいがることはしたって十分な世話はできない。
私のお友達にはどんな人がいるのかもよくわからない。
法事やら親せき付き合いやらお寺さんとのお付き合いやら
私任せだからわからないだろう。

などなど考え始めたらもうこれからは身の回りはきれいに整頓して
何かあってもわかるようにシンプルにまとめる。
そして家の中の大事なものはリストを作るなりしてわかりやすくファイルする・・・・
やらなければいけないことをノートに書き留めておく。
などと心配し始めたらきりがなくなってきた。


しかし「もし死んでしまったら・・・」と心配している割には
何とかなるに決まっているからとりあえず身の回りだけは
みっともなくない程度にきれいにしておこう。
という結論に達したのであった。
身近な人の死は若い頃と違って自分に置き換えてしまい
深く考えさせられる。

手を合わせ、彼女を乗せた車が遠ざかるまで見送った。
今日は素晴らしい秋晴れ、こんな良い天気の日にさよならするなんて
彼女の人柄がそうさせたのかもしれません。

合掌

2011年10月27日木曜日

福島県天栄村のお米



今年も福島のお米が届きました。
以前バトミントン仲間が毎年お米を福島県天栄村の農家から買っていて
「とてもおいしいお米だから一緒に頼む?」と紹介してくれました。
もう何年もその農家からお米を届けてもらっていました。

30Kg、7000円、送料が1200円。それを毎年2袋から3袋
注文して娘夫婦にも分けてあげたりしていました。
福島のお米はとてもおいしくてふっくらもちもち、
玄米を近くのコイン精米所で精米して少しづつ大切に食べていました。
全く知らない農家の方でしたがお礼の便りをやり取りしたり
やがて福島の農産物を宅急便で送って下さったりと
なんだかあったこともない方なのにそんな心温まるやり取りが続いていました。


そして今年の大震災、原発事故、
私はもうお米を分けてもらえることは永久に出来なくなってしまうのではないかと
心配していました。
震災後落ち着いた頃に思い切ってお見舞いのはがきを出してみました。
今年のお米は分けていただけるのかどうかということも書きました。

そのままお返事がないまま何か月も経ちました。
テレビで福島の早場米が放射能検査で問題なしと判定され
やがて通常のお米も検査合格と言うことで福島県知事が安全宣言をしていました。
紹介してくれた仲間がこの農家とは知り合いで連絡を取ってくれて
お米を今年も分けてくれることになったのです。

この農家の方もお米は作ったものの分けてよいものか、
ずいぶんと悩んだことでしょう。
そして問題なしとの結果が出たので我が家に届いたのです。
今日新米を食べました。
つやつやと光り本当においしかった。
これから福島の農産物は風評被害で苦労するのだろうなと思うと
残念でなりません。
原発事故さえなければ・・・と悔しい思いでいっぱいです。

炊き立ての新米をかみしめながら複雑な思いにかられます。
震災前まで何の憂いもなくあたりまえに生活していた毎日、
そんなことは本当は奇跡なのかもしれないとやっとわかってきた私でした。

2011年10月25日火曜日

お弁当 その3

毎日忙しくてブログもなかなか更新できない。
何を書こうか考えて・・・・
そこでまたお弁当シリーズです。



たら子のり弁とうさぎりんご

ちょっとタンパク質が足りないかな・・・


 
  




  
  焼肉、シイタケの佃煮、カボチャの煮物、柿は我が家の庭に実ったもの




また、たら子と大学いも、卵焼き、カブのぬか漬け、梅干


かような質素で少量のお弁当で日々仕事を乗り切っています。
いつもはこれにインスタントのみそ汁が加わります。


明日はちょっと疲れたので「弁なし」です。
「弁なし」とは我が家だけの言葉でお弁当がない日のことです。
明日は外食でラーメンでも食べようかと思っています。

2011年10月11日火曜日

お弁当 その2

今日のブログは書くことがないので
またまたお弁当の写真を載せます。

おいなりさんですが作るのはすごく簡単です。
もう油揚げは味付けしてあってただ中にご飯を詰めるだけです。
今は便利になりました。
本当は紅ショウガがあればよかったのですが・・・



そして今日のお弁当はこちら。
肉じゃがとほうれんそうのお浸しときゅうりのぬか漬けと昆布の佃煮ですが
実は全部前日の夕飯の残り物です。



タンパク質が足りなかったのでなんか物足りないお弁当でした。
あすはタラコがあるからおにぎりでもしようかと思っています。

勤務先の近くにはリンガーハット、すき家、独楽寿司、セブンイレブン、道頓堀、
小僧寿し、マック、お弁当どんどん、モスバーガー、幸楽園となんでもあるのですが
やはり毎日外食では飽きてしまいます。
それに金額もばかになりません。
ということで時々サボりながらお弁当作りを頑張ります。

2011年10月10日月曜日

ブルーレイディスク

今日家電量販店へ行きブルーレイディスク、DVDレコーダーを買ってきた。
先日ビデオカセットも入るレコーダーがこわれてしまったので
修理に持って行ったのであった。
店員さんは開口一番「電源が入らないということは基板がこわれているので
修理すると3万近くかかります。それにもう10年前のものですから他の部分も
傷んでいると思います。修理をするより買った方が良いと思いますよ」ときた。

私は自分の仕事上、このようにまったく同じことを言うので
可笑しくなってしまい一人で笑ってしまった。
まあ私は給湯器関係なのだが。
しかしどんな商品も似たり寄ったり、寿命もそんなもん、
機械はこわれるものなのだ。
以前お客様から「なんで機械がこわれるのだ!」とお叱りを受けたが
形あるものは何でもいつかはこわれてなくなる。
生き物や人間だって永遠の命はないし、だからそれでいいのだと思う。


話はそれたが結局修理はあきらめ店員さんの強い勧めで
結局ブルーレイ対応のレコーダーを買った。
考えてみれば私はたまにレンタルしてきたDVDや
家にある古い映画のDVDを見たり・・・とそのくらいしか使わない。
録画なんか仕方がわからないからここ10年はやったこともない。

そこで店員さんに「ブルーレイってなんですか?」と大真面目に聞いてみた。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥というが店員さんもきっと
心の中では「あーおばさんはこれだから・・・」と思っている顔をしていた。
とにかく勧められるままSONYのレコーダーを買ったのであった。

今は世の中がものすごいスピードで進んでゆく。
私はそれに追いつけない。
もっと年齢を重ねたらもうお手上げだ。
買ってきたレコーダーもまだ荷を解かないままだ。
もう今日は買っただけで疲れてしまった。
明日荷を解いて説明書を読んだらもうその日はおしまいである。
あさってあたりやっと自分で接続したらまたその日はおしまい。
そしてしあさってあたりなんとかDVDを見れるだろう。

2011年10月5日水曜日

お弁当

ブログ引越しが終わった途端、すっかり気が抜けてしまい
ブログを書かなくなってしまった。
これではいけないと今日はお弁当について・・・


今日のお弁当はうなぎ弁当 
  うなぎと入り卵、キャベツときゅうりとしょうがの一夜漬け、ゆで栗



かれこれ30年間ずっと私は家族と自分のためにお弁当を
作っている。
結婚した当初はそれこそ舅、姑の分、
多いときは子供たちの分も入れて4個の弁当を作り続けた。
やがてお弁当も一つ減り二つ減りといまでは二つになってしまった。
今思うとどんなお弁当を作り続けたのかしらと思う。
毎日のことだから結構手抜きをしていたし、いい加減だったと思う。

まだ定年までには二人とも数年あるし運良くその先会社でまた何年か
勤務出来たらお弁当から解放されるのはずっと先のことになる。
まあこれからも頑張ろう、昨夜の夕飯のおかずの残りだって
どういうわけか買ったものよりおいしいのだから。

2011年9月25日日曜日

野良猫

我が家の周りには野良猫が何匹か棲みついています。
近所で餌やりをしている人がいるので栄養状態も良くつやつやしています。
この雄猫は半年前くらいから我が家の庭を我が物顔でのして歩いています。
私がそばによっても逃げるわけでもなく餌を欲しいのか鳴き声を出すときもあります。
見ての通り目の上に大きな模様があります。
それは眠狂四郎の刀傷のようでもありなかなかニヒルな感じがないわけでもなく
といって、まぬけなほくろのようでもあり何とも憎めません。


人間でいえば「気のいいおやじ」みたいな猫です。
今日も我が家の愛犬レオが吠えまくって威嚇しても
われ関せず・・といった具合です。

今迄野良猫をたくさん観察してきましたがやはり寿命は短いです。
いつの間にかいなくなってしまいます。
交通事故であったり病気であったり・・・
我が家の前の道路で轢かれてしまった猫もいました。
病気なのかだんだんやせ細っていつのまにかいなくなってしまったり、
オス同士喧嘩をして傷だらけで片目がつぶれていたり、
野良で生きていくのは大変なのでしょう。
でもそう思うのは人間の方で当の猫たちはそれで幸せなのかもしれません。

2011年9月22日木曜日

うばすて山

今日の読み聞かせボランティアは 「うばすて山」であった。
直前まで「舌きりすずめ」を読むつもりでいたのだが
19日は敬老の日でもあったし「うばすて山」のお話を
読むことにした。

このお話、子供たちはあまりおもしろくないかな?と思っていたのだが
意外な反応が返ってきた。

村の掟で60歳になると老人は山に捨てられる。
心優しい息子は母親を捨てることが出来ず
山の途中で自宅に帰り母親を家に隠すのであった。

隣国の殿様の無理難題をこの母親が知恵を出すのである。
灰で縄をなう、これは塩水につけた藁をなって板の上で燃やす。
ほら貝に糸を通す、これはありんこに糸をつけ糸を通す。
たたかないでも鳴る太鼓、これは蜂の巣を太鼓の中に入れる。

そして最後は殿様もお年寄りの知恵に感嘆しうばすて山の掟を無くす。
という内容である。
おばあさんを山に捨てる時のページを読んだとき子供たちから
驚きの声がもれた。
あとで感想を聞くとそんなことかわいそうだとみな言うのであった。

先生が最後に「どうして殿様はうばすて山の掟を無くしたのかよく考えてみましょう」
と締めくくり読み聞かせは終わったのであった。

昔「楢山節考」という映画を見た。
今村昌平監督。主演は坂本スミ子、緒方拳だったと思う。
その内容がいつまでも頭にこびりつき離れない。
しかし今日の「うばすて山」はめでたしめでたしで終わった。

帰りにボランティアの役員はノートに今日の読み聞かせの内容などを
書いてから帰るのであるが、
私はどうしたことか自分の名前を書くところへ「うばすて山」と書いてしまい
他の仲間に大笑いされてしまった。
校舎をでたら台風一過、真っ青な青空が広がっていた。
次回は何を読んであげようか、と思いながら校舎をあとにしたのであった。

2011年9月9日金曜日

かぐや姫

日本むかしばなし
   かぐや姫
昨日は読み聞かせボランティアの日でした。
2学期初めての読み聞かせで子供たちも夏休みを終えて
元気一杯、黒く日焼けしてちょっとたのもしくなったようであった。
始まる前私が廊下で立って待っていると子供たちが教室から顔だけ出して
今日は何の本を読んでくれるのか探りを入れている。

私と目が合うと恥ずかしそうに引っ込んでしまうのである。
そのうち誰かが「今日はかぐや姫だ」と
早くも騒いでいる。
私も昔読んだきりで竹から生まれて最後は月に帰ってしまう・・・
そんな程度しか記憶になかった。

しかしじっくり読んでみるとおもしろい、
美しく成長したかぐや姫を手に入れるための公家たちの難しい宝物さがし。
「天の国にある仏の御鉢」
「決して燃えない火ねずみの皮衣」
「金の枝に銀の実をつけている蓬莱の木」
「海の底に住む龍が持っている玉」
「ツバメが抱いている子安貝」

かぐや姫は月の人だったのである。
最後は月より迎えの使者達が来て
おじいさんおばあさんに不死身の薬を
残して月に帰ってしまう。
この薬を飲まずに燃やした山が富士山であったという。

この竹取物語は日本最古の物語と言われている。
すっかり秋の気配になった夜空を見上げてみた。
満月にはまだ少し足りない月がでていた。
月の輝きは本当に美しいと思う。
いにしえの人も現代の私たちも同じ月をながめ
ロマンを感じる気持ちは同じなのかもしれない。

偶然にもかぐや姫を読んだこの時は
十五夜に近い。
お月見と言う情緒あふれる行事がある。
「うさぎうさぎ、何見て跳ねる~」と思わず口ずさんでみた。
秋の虫たちが足元で鳴いている。
日本っていいなあとしみじみ思った夜であった。

2011年9月4日日曜日

お引越し

このたびこちらにお引越ししてきました。
長らく続けてきましたTypepadのブログですが
3月から有料になりしばらくは続けていましたが
やはり無料のブログに移ることに決めました。
どこのブログにしようかいろいろ調べてみましたが
ブログ仲間だった方の記事を参考にさせていただいて
こちらでまた続けようと思っています。
よろしくお願いいたします。

2011年9月3日土曜日

お引越しいたします

お引越しいたします

長らくVOXからこのTYPEPADでブログを続けてまいりましたが
有料化になりずっと引越しを考えていましたが
やっとお引越し先が決まりました。
まもなくこちらのブログは閉鎖いたします。
ありがとうございました。
またこちらのブログで続けて行こうと思っていますので
よろしかったら覗いてくださればうれしいです。
http://dorin777.blogspot.com/

2011年8月28日日曜日

磨きをかける

P1030443
テーブル用に購入した一枚板を毎日サンドペーパーで磨いています。
はじめはこの一枚板をいったん庭に出し
そこで磨いていました。
結局いやいやながら私が片方を持ちもう一方を主人が持ちと
一体何十キロあるかしれないこの重い一枚板を
二人で外に出して終わったらまた家にしまっていました。

はっきり言ってこんな重くていまにも押しつぶされそうな一枚板を
膝や腰が痛くていつだって整形外科に通っている私が
持つというのは危険この上ないと思うのですが
他に人がいないのだから仕方ありません。
掛け声とともに渾身の力を振り絞って運びました。
しかし女性だっていざとなったらやれるものだと妙に納得。
変な自信が湧いてきてしまった。

だいたい我が家は思いやりとかいうものが昔から一切ない家なので
おかげで私はそれに鍛えられ、たいていのことは自力でやれる
ようになってしまった。だから考えようによっては良かったのだと
思うようにしているのである。

しかしだんだん雨の日もあるし外に出すのが億劫になったのか
この頃向こうの部屋でどうも静かに何かしていると思ったら
あー、やっぱり・・・部屋で磨いていたのだった。
おかげで部屋の中は工務店の作業場のようになってしまい、
床はザラザラ、とても裸足で歩けたものではなくなっていた。

ねじり鉢巻きで無心に磨いている姿をみて
もっと他に磨きをかけるものはあたっだろうに・・・
と思いながら、もういいや、とりあえずどんなテーブルが
仕上がるのか待つことにしようと思ったのである。



2011年8月23日火曜日

お掃除ロボット


先日お掃除ロボットを買いました。
以前から欲しいと思っていたのです。
これがあれば出勤するときにスイッチを入れておけば一人でお掃除を
してくれて帰宅したときは家の中はきれいになっている。
こんなに便利なものはないわ・・・・と。
大型家電店でエコポイントで買いました。
うれしくてスキップしながら帰ってきました。

使ってみた感想は「買わなければよかった」です。
まだ使い勝手がよくわからないから、コツがまだ呑み込めないからかもしれませんが、
持っている人に良く聞いてからにすればよかった・・・と反省しています。

まず使う前に部屋の床などに散らばっているものや椅子などは
あらかじめ片付けておかなければいけないのです。
それって結構面倒くさいのです。
音もうるさいし、少しぐらいの段差やカーペットは乗り越えて
進んでいきますがときどき座礁してしまってモーター音をうなりながら
いつまでもそこで立ち往生。
網戸にぶつかり方向転換できずにいつまでも張り付いていたし、
隅っこの綿ぼこりや髪の毛はやっぱり取りきれないし・・・
カーペットに張り付いた糸くずは取りきれないし・・・

私はお掃除している間ずっとつきっきりで後をついて回っていました。
これでは何のためのロボットなのかしら??
これなら今迄どおり掃除機を使った方がましだ!
とまあ、完璧をもとめてはいけないのでしょう。
所詮人間がするのと同じ様にはできないのだとしみじみ思いました。

愛犬レオはびっくりして警戒してじっと見ているし
この天然記念物の「兜ガニ」みたいな代物は
買った初日に我が家で嫌われてしまったようです。
しかしもう買ってしまったのだから仕方ない。
こうなったら上手く使いこなすしかないのだと決心したのであった。

2011年8月8日月曜日

一枚板


おとといの夕方家に帰ったらこんなものが部屋に
どーーーんと立てかけてあった。
私は声も出ないでただボー然と見上げていた。
たて2メートル、よこ0.9メートルの樹齢200年の杉の一枚板だった。

主人と工務店の社長とでリビングに置くテーブルの一枚板を探し回っていたが
とうとう気に入ったものが見つかって買ってきてしまったのだった。
なんでもこれと同じに切ったもう一枚は蕎麦屋が
買っていったと言う話だ。

これを工務店で表面を磨いて蜜蝋を塗って
脚を作ってもらうのだそうである。
蕎麦屋でもやるつもりかしら、
きっとこのテーブル重いのだろうな・・・・
一度置いたら薪ストーブと同じでもう二度と
動かせないのだろうな・・・・・
主婦はこんなことしか考えられません・・・・・

2011年8月7日日曜日

孫のプール




昨日帰宅したらくじらのプールがデッキにあった。
ご丁寧に水まで張ってあった。
明日孫が来るからと主人が大急ぎでホームセンターへ行き
買ってきてふくらまして井戸から水を入れたのだった。
明日孫が入るとき水が冷たくないようにとの思いやりらしい。
迅速な行動にしばし驚く・・・

今日孫がやってきた。
私はその時不在だったのだが帰ってきて
「どうだった?喜んで入った?」
と聞いたら、浮かない顔をしている。
何でも孫はこのクジラのしっぽが気に入らないらしく
泣いてばかりで入ろうとしなかった。
それで娘がプールに入り、次に婿さんが入り
最後にじいさんが入り、、、、と模範演技を見せたのだが
頑として泣いてばかりで入らなかった。

夕食が終わり孫は帰って行った。
娘夫婦は「お父さん、ごめんね。せっかくプール買ってもらったのに・・・」と言っていたが
さっさと帰ってしまった。
暗いデッキで一生懸命クジラのプールの水を捨てている主人がいた。
なんだかちょっぴり可笑しい様な可愛そうな様な後姿であった。

2011年8月6日土曜日

薪ストーブがやってきた

やっと薪ストーブが配送されました。

配送された時たまたま若い大工さん二人がいて
西濃運輸の配達の人二人、主人の男5人で
やっとの思いで家の中まで運び込んだ。
なにせ鋳物製で150kgの重いものだった。
西濃運輸の人なんか「私たちは家の前まで運ぶのが仕事で家の中まで
運んで設置するのは仕事には入っていません」と不満げだったが
そんなこと言ったて手を借りなければ到底運べない代物であった。
そしてまだ出来立てほやほやの無垢の床にストーブの足をぶつけてしまい
大きな傷をつけてしまった。
数日前も冷蔵庫を運び入れたとき古毛布などを敷かずに無理したものだから
黒い汚れとともに二本の滑車の跡が・・
「線路は続くよどこまでも・・・・」
この時はショックで言葉も出ずに立ち尽くしていたのに
またやってしまった・・・・
工務店の社長に言ったら「あー、やっぱり。心配していたんです。
素人さんが重いものを運び込むとたいていやっていまうんですよ~」
だって。

煙突屋に頼んですべてやってもらえばよいのだろうが
主人が何もかも自分で購入して取り付けたのだから
本当に無事使えるかどうか怪しいもんだ・・・・
しかしこの堂々とした憎たらしいほどの威容は・・・
絶対私は触らないぞ!火なんかおっかなくて苦手なんだから。
子供のころから線香花火に火をつけるのだって苦手なんだから。


山でチェーンソーで木を切り、家まで運んで薪割りをして軒下に積み上げ、
二年置く。そして使う度、家の中に運び込み薪をくべる。煙突掃除もしなくてはならないし、
これから年を取っていく私たちにとってこれは一体なんであろうか?
なんでもスイッチ一つで安全に便利に生活していけるのに?・・

マッサージ機を購入したときもそうだったけれどもう私は何も言うまい。
工務店さんとこの薪ストーブをながめながら
「試運転はどうしましょうかね?火入れ式はいつにしましょうか?
仲間を呼んでやりましょうか」
などとこの猛暑の中で嬉しそうに話している。
これを「男のロマン」と言うのだろうか、
と私は後ろから何も言わずじっと見ていたのであった。


2011年7月29日金曜日

ステンドグラスの引き戸



やっと増築部分が出来上がり生活用具の引越しもなんとか運び込んだ。
今迄とまったく違ってしまったので何をどこにしまうのか考えながらの引越しで
引越しに慣れていない私はものすごいストレスの塊になってしまった。
その上やたらに家具など置きたくない主人と棚がなければ物が散乱すると考えている
私とでは意見が合うはずもなく一日一回は喧嘩している。
ホントは私だって和やかに新築の喜びを分かち合いたのに。

ところで建具を選ぶ際、工務店さんが持ってきてくれたカタログは
木の扉が満載されていたものであった。
お洒落な建具がたくさんあって一目で気に入ってしまった扉がこれでした。

これは一本のレールの上に並んでいて右側の戸袋にこのまま収納が
出来ます。そして二枚の扉の接触する部分はマグネットがはめ込んであって
引き出すときは一緒に出てくるようになっています。
まあ、私たちにはちょっとどころか全く似合わない引き戸ではあるけれど
この引き戸が少しは引き立つような掃除の行き届いたお部屋を
保たなくてはいけないなあ・・・・と思っているのである。

2011年7月14日木曜日


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コメント

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Charan Tateshina
ウッドデッキ、いいですね!
材質がまたいいですね。
見た感じは木、そのものなのに、手入れが要らないなんて夢みたいです。
我が家のベランダは去年夫と二人で塗装しました。でもランディが走り回るのでもう剥げてきている部分が・・・。
家を建てる時は大きな単位でお金が出て行きますから、金額にマヒしてしまう傾向がありますね。そしてどんどん予算オーバーですよね(笑)
でも出来上がりが楽しみです♪

dorin
charanさん、おはようございます。charanさんのお宅の
ウッドデッキは広くて材質も木で
出来ていて、本当の別荘地のウッドデッキですね。やはり雰囲気は我が家とは大分違います~。巷では今はウッドデッキが流行のようです。夜になったらビールを飲みながら夕涼みですね♪

take
ウッドデッキといえば高原ロッジの爽やかさや涼しさを連想します.以前,ラティスという部品を使って,マンションのベランダをウッドデッキ風にアレンジしていましたが,消防法や管理規定に抵触するようです.とはいえ無味なコンクリートにくらべ木の感触はやはりいいものです.dorinさん宅の完成が待たれますね. take

dorin
takeさんお久しぶりです。
ウッドデッキは猛暑でも夕方になると涼しくなってきます。
まだ家も完成していないのにさっそくウッドデッキで仲間を呼んでビアガーデンをやってしまいました~。

2011年7月10日日曜日


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Charan Tateshina
着々と進んでいますね。薪ストーブ楽しみですね。
この暑さでは職人さんも大変でしょう~
家を建てるということは嬉しさ楽しみがありますが、心身ともに疲れますよね。でも出来上がったらそんな疲れも吹き飛んでしまいますから、もう少しの辛抱ですね。

dorin
charanさんも蓼科へお引越しの時は大変でしたでしょうね。住まいが変わるというのはホント疲れます~。時々「前の家のままで良かった」なんて思ったりして・・・でもcharanさんの言うとおりもう少し辛抱します~。