2016年12月27日火曜日

クリスマスの日にさようなら

12月25日未明義兄がスキルス性胃がんのため亡くなりました。
10月に腰が痛いといって病院へ行ったときにはもう骨にまで転移していて
抗がん剤の治療がはじまりました。
けれど副作用がとてもつらくて苦しかったそうです。
誰にも会いたくないと云っていてお見舞いにも行けませんでした。

前日の夜もう年内持たないとの連絡があり急いで病院に駆けつけました。
意識はなくモルヒネの作用かもうろうとしながらも苦しんでおりました。
私が声をかけると一瞬返事をするような反応を見せてくれました。
検診はまめに受けあんなに体力も運動神経も抜群で体も鍛えていた人が
どうしてこんな病気になってしまったのか・・・・
医学が進んでがんになっても治療をして普段の生活に
戻れる人がたくさんいるというのに。

病院を出ると街はクリスマスイブで賑わい
イルミネーションが溢れている道を走りながら
たぶん会えるのは今日が最後だろうと思いました。
悲しく悔しく涙がこぼれました。
道行く人は皆幸せそうに見え平和な日本のクリスマスイブを
楽しんでいるように見えました。

明け方私はふと目が覚め義兄がいま亡くなったような
不思議な感覚がありました。
やはりその時間帯に義兄は亡くなりました。

クリスマスの日にさようならなんて悲しすぎます。
65歳なんて若すぎる。
もっともっと生きていてほしかったです。

2016年12月23日金曜日

4畳半ソング

昨日新聞に「ヤマハリゾートつま恋」の営業が終了する記事が出ていました。
昭和50年代頃この場所でフォークコンサートや新人のポピュラーコンテスト
いわゆるポプコンが行われていました。
「音楽の聖地」と言われていました。
私のような世代の者にとっては懐かしい青春の思い出と結びつきます。

「神田川」、「赤ちょうちん」、「22才の別れ」、「なごり雪」
何もかもが懐かしい・・・
4畳半ソングなどと言われたりもしたけれど
いい歌だった。
あの頃の自分を思い出す・・・・
時は流れて変わっていくのだなあ・・・
しばし感傷・・・・


2016年12月18日日曜日

みどりさん

昨日小学一年生の孫と話しをしていた時のこと。

〇〇ちゃんのお母さんはママで
ママのお母さんはおばあちゃんで
おばあちゃんのお母さんは中野のひいばあちゃんで
ひいばあちゃんのお母さんは・・・とまでいったら
「みどりさん!」と答えが返ってきました。
以前私が同じようなことを話したことを
覚えていたのです。

みどりさんは私の母方の祖母です。
私が生まれる前に亡くなっているので私はみどりさんを知りませんが
写真や母からどんな人だったか聞いているのでイメージはあります。
ということは私の孫はみどりさんからみると玄孫(やしゃご)です。
玄孫に名前をおぼえてもらっているとはみどりさん、うれしいのでは・・・
だって私は自分の高祖母の名前なんて全く知りません。
みどりさんのおばあさんにあたる人から私を見たら
私は玄孫ですから。

みどりさんから延々とつづく命、
いやもっともっと前から。
誰一人欠けても今の孫は存在しない。
そんな当たり前だけれどとっても大事な事実。
今ある自分はその脈絡の中で生かされていると気づくには
この孫はまだ何十年もかかるでしょう。
あと50年以上先に
私も玄孫から「〇〇さん」と言われたらうれしいだろうな。
残念だけどもうこの世には絶対いないけれど。


2016年12月11日日曜日

同期

同期という言葉、同級生という言葉とは違って
社会人になったとき同じ会社でスタートラインに立った時の仲間です。
もうこの年になると同期という仲間を今から作ることはまずないでしょう。
だから同期という懐かしい人たちにもし数十年ぶりに会えたとしたら・・・・

昨日は私が所属しているマンドリンクラブの定期演奏会でした。
偶然にも昔私が勤務していた銀行に今も勤めている部員がいます。
その部員の同僚が私の同期だった女性でした。
それがわかったのもちょっとしたきっかけだったのですが。
そしてその女性が定期演奏会に来てくれることになったのです。

40年近くも月日が過ぎ去りお互い変わってしまっているだろうから
わかるかな、などと心配していたのですが・・・
彼女は昔とちっとも変っていませんでした。
お互いの第一声が〇〇ちゃん!でした。
不思議なものですね。
すぐに相手の呼び名が出てくるのですから。
学校を卒業して初めて新人として入行して同じ課で
一緒だった人です。
同期はたくさんいましたがなぜか彼女のことはよく覚えていました。
同期同士でよく食事をしたり出かけたこともたくさんありました。
私にとって今会うことができたただ一人の人でした。
ほかの人達は今どこで何をしているのでしょうか。

彼女は独身で定年を迎え今は再雇用で続けているとのことでした。
また来年演奏会に来るからと約束して別れました。
数十年ぶりにたった10分ほど会えた人。
彼女は私の大切な同期です。






2016年12月8日木曜日

銀ブラ

今日、銀座の画廊へ絵画の個展を見に行ってきました。
同じマンドリンクラブにいる女性から案内ハガキをいただいたので
興味津々で出かけました。
まさかこんな幻想的な絵を描く人とは知らず驚きの連続でした。
才能ある人が身近にいるものですね。

東京駅から丸の内オフィス街をのんびり歩きました。
独身時代勤めていた銀行の前を通ってびっくり、
なんとそのビルが解体中でした。
何とも言えない寂しさを感じました。
銀行も合併してしまい、ましてや当時軍艦ビルなどとも言われた
独特な威容を誇ったビルでしたが・・・・・・
時とともにだんだんと変わっていくのですね。
オフィス街もいまはすっかりおしゃれになって
ちょっとした外国の街並みのようです。

有楽町まで歩きやがて銀座でお昼をとることにしました。
私は銀座というと「てんぷら」とどういうわけかつながってしまうのです。
ちょっとしたお店で天丼を食べてから画廊へ向かいました。
昔、仕事が終わると銀座へよく寄り道したことを思い出します。
だから銀座は懐かしい街です。
いまも変わったとはいえ昔の雰囲気が感じられます。

今日は若かったころの自分を思い出しながら
ビルの谷間にのぞく青空を見上げ色づいた銀杏並木を歩き
絵画を鑑賞して東京駅の素晴らしさを再確認した
有意義な一日となりました。




2016年12月7日水曜日

私を忘れないで

海馬さん、私を忘れないでください。
若かった頃の思い出を。
青春の蹉跌を、楽しかった時間を、恥ずかしかったことを、
後悔したことを、頑張った私を、悔しかったことを、悲しかったことを
泣いてしまったあの日を、大事な選択をしたときのことを、
何よりうれしかった時のことを・・・

海馬さん、たくさんの思い出が詰まった私を忘れないでください。
海馬さんは私の頭の中にいます。
私の一部でありながら違う人のような気もします。
あなたが私を忘れていくのはとてもこわいです。

もう7、8年も前、脳ドックを受けた時
医者から奥様の脳はなんて若々しい、
海馬は記憶をつかさどるところですが
若い人なみです。とかなんとかいわれてすっかり気を良くしたものだった。

その数年後の脳ドックの結果は「年相応ですね」といわれた。
数年経ただけで海馬さんは年をとってきたということなのだろう。
だんだんと私の記憶も忘れ去られていくということなのかしら。
もっとおばあさんになっても自分の生きてきた記憶はなくしたくないと思うのです。
海馬さん、大変でしょうが何とか頑張ってください。
私もがんばりますから・・・・



2016年11月30日水曜日

おのぼりさん

今日六本木ヒルズで開催されているマリーアントワネット展に行ってきました。
昔々六本木交差点にある「アマンド」という喫茶店に行ったことがあるなあ」・・・
もう40年近く前になるのだろうか。
いまもあるのかどうか見つからなかった。
というより今自分が六本木のどこを歩いているのか全く分からない。
地下鉄から地上に出た途端どこをどう行けばよいのか途方に暮れた。
都会の人はみんな早足でさっさと通り過ぎていく。
なんだか自分が場違いな所にいる気がして帰ろうかと思ってしまった。
やっと交番を見つけて若いおまわりさんに教えてもらった。

ヒルズに着いたら着いたで入口がわからない。
平日のお昼どきとあって颯爽と都会のサラリーマンたちが行き交っている。
なんかかっこいいなあ。
ガラス越しにおしゃれなお店でランチをしている人たち。
ワインなんか飲んでいる人もいる。
あっちへ行きこっちへ行きしているうち
ガラスに映った自分の姿を見て大きなショック。
まさにおのぼりさんそのものであった。

マリーアントワネット展を見終わったらすぐに家に帰りたくなった。
大都会と人ごみは疲れる。
地下鉄も網のようにはりめぐらされて
丸ノ内線、日比谷線、銀座線、これくらいしか思い浮かばない私は
もうついていけない。

自分の降車駅に降り立った時のホッとした気持ち。
山が見えて夕暮れが美しいシルエットになっていた。
冷たい北風が吹いていたが大都会から帰ってきた
おのぼりさんには気持ち良い北風であった。
明日から師走、さあ仕事が忙しくなる。
風邪などひかず頑張らないと。
今日は繁忙期の前の束の間の休日でしたが
気疲れした一日になってしまいました。


2016年11月18日金曜日

喪中につき・・・

欠礼ハガキが今日2通届きました。
親の喪中ということでどれも90歳を超えている親の喪中ハガキでした。
ここ10年ほど前から80歳前半、そのうち80歳後半、いまは90歳を超えてきました。
本当に日本は高齢化社会になったとこんなところでも感じます。
ちょうど私の世代の親たちです。
戦前戦中戦後とたくましく生き抜いてきた方たちなのですね。

私の母はいまでも猛烈に元気ですからまだまだ長生きしそうです。
父は57歳で亡くなりましたので今の感覚で云うと短命ということです。
以前も書きましたが毎年この時期になると届いたハガキを見ると
父も生きていたらまもなく90歳、
もっと長生きしてほしかったと思います。
孝行したいときには親はなし・・・
本当にそうですね。


2016年11月10日木曜日

ばばぬき

孫がいつのまにかトランプ遊びができるようになっていました。
一緒にばばぬきで遊んだのですが
孫がばばを引き抜くと顔が変わるのがとても面白いです。
ポーカーフェイスなんていう芸当はまだまだ先の話ですね。
「ばばぬき」なんていう意味も今はわからないでしょう。
そのうちおばあちゃんは入れないなんて言う日がくるのでしょうか。
想像すると可笑しいです。
そういえばアメリカ大統領選にトランプさんが勝利しましたね。
どうしても本人とトランプが重なってしまってこれからどんな世界になっていくのか
不安を覚えてしまうのあります。

2016年9月23日金曜日

ゴジラの行方は?

お彼岸の休日は朝から冷たい雨、
お墓参りも出来ず親戚も今日は来ないと連絡が入った。
何もすることがなくどうしようかと考えたが今上映中の「シン・ゴジラ」を
観に行くことにした。
客席は満席、迫力満点の特殊撮影技術、中盤にさしかかったところで
突然スクリーンが真っ暗に・・・・
映画は中断してしまった。

機械の故障らしくお詫びの説明がありしばらくしてから続きを上映し始めたがまた中断、
それを合計3回も繰り返しすっかり気分がそがれてしまった。
係員の説明ではこれからも最後まで上映は致しますが
返金は出来ないので映画券をお配りします。とのことだった。

どうも腑に落ちない。だってこのまま帰ったら「シン・ゴジラ」は最後はどうなったのか
分からず仕舞い。
でもこんな切れ切れではもう見る気もしない。
もらった映画券でもう一回日を改めて来るほどの余裕はない。
また来たとしたって初めから見るわけだから新鮮味はなくなっている。
お客様から怒られ続けた係員は舞台の袖のところでひたすら謝るばかり。

まあ仕方ないか、今日はついていないということでさっさと帰宅した。
それにしてもあの若い係員のお兄さん、ちょっとかわいそうな気がした。
彼のせいではないのだろうけど・・・
自分も仕事でクレームの電話を毎日受けてお客様に謝っているから
彼の気持ちがよーくわかる。
「ナンデコンナ二ジブンガオコラレナケレバナラナインダロウ」
でもそれが仕事なんだよね。お給料の内ってこと。

それにしてもゴジラはどうなったのだろうか・・・


2016年9月6日火曜日

加齢臭

巷では「加齢臭」という言葉が知れ渡って久しい。
世の中高年男性はギクッとしたのではないだろうか。
なぜならこの言葉が流行る前から奥様や娘さんから
お父さんのふとんや枕は臭いとか、洗濯物は一緒には洗わないでとか
いろいろ言われて腹の立つことも多かったに違いない。

そういう私だって中学高校の頃からだんだんお父さん嫌いが始まり
事あるごとにお父さんは臭いとか言って反発したものだった。
今思えばなんてひどいことを云ったのかと反省しているが
謝りたいときには親はもうこの世にいないのである。

でも以前、女性は父親のにおいに似ている男性を
伴侶に選ぶという嘘のような本当のような記事を読んだことがあった。
これはビックリであった。
ということは自分の父親と夫の加齢臭は似ているのか・・・・
ちょっと気分が悪くなりそうな・・・
いやいやそんなはずはないとおもうが比べたい父親はもういないのである。

父親の愛情を今になって思い出してちょっと涙が出そうになる時がある。
それは中学3年生の受験の頃、冬の深夜に
受験勉強は適当に、そしてラジオのオールナイトニッポンなんか聴いて
さあ寝床に入って寝ようとしたがふとんは冷たくあまりの寒さに寝付けない。
布団の中で小さくなっていたら
父親が寒いなら自分の布団で寝ればいいと変わってくれたのであった。
たぶんお父さんの布団はくさいから嫌だとか憎まれ口をきいたと思うが
父親の布団と交代したのであった。
それは暖かくまさに愛情と加齢臭の満ち満ちたお布団であった。

ところが昨日洗濯物を干していて洗ったはずの主人の衣類が
なんとなくにおうような・・・。
主人に「洗ったのにおいが落ちていないってことは加齢臭が強いってことかしら」
などと云ってしまったのだが
実は手違いでまだ洗っていないウエアーを干していたのであった。

だから加齢臭などと嫌そうに言葉を発してはいるが
私にとっては昔々のこの思い出と妙に重なり合ってしまって
ちょっと心の中が痛くなるのである。

2016年8月19日金曜日

乱視老眼ド近眼

私は中学生の頃から近眼になりメガネをかけるようになった。
メガネをかけると良く見えたけれどますます自分がブスになった気がして
黒板を見るとき以外はかけなかった。
当時は「年頃の女性がメガネをかけていたら結婚に行き遅れる」などと
全く持って馬鹿げた話を親は私の前で話すので
純真無垢だった私はそれを信じていたのだった。
ところが高校生になる時にコンタクトレンズという素晴らしいものがあると知り
親にねだって買ってもらったのであった。
これで結婚に行き遅れることはなくなったと安堵したものだった。

それからはや45年以上の歳月が流れた。
純真無垢だった私はもはや純真無垢ではなくなってしまった。
今では遠近両用のコンタクトと遠近両用のメガネ、
手元用のメガネ、コンタクトをつけている時の手元用のメガネ、
仕事でパソコンを打つ時のメガネ・・・・
と一体いくつあるのであろうか。
この頃ますます老眼が進んでコンタクトもメガネも度数が合わなくなってきた。
合わない目でデスクワークなんかしているのだから
肩や首、目の疲れに悩まされるのは当たり前である。
仕方ないのでいよいよ買い替えることにしたのだが・・・

はっきり言ってコンタクトは高い!メガネも高い!
それもコンタクトの遠近両用は両目で5万円ほどである。
度数が合わなくなれば変えなければならないし失くしたりもする。
それなりの保障システムにも入るけれど結局は高額な医療機器だと思う。
メガネだって単純な近眼ではないのだからレンズは高くて結構な金額になってしまう。
先月エアコンだの洗濯機だの大物家電を買ってしまったから
またまた痛い出費であった。

45年間目が悪かったことを今さらながら考えてみると
一体いくつコンタクトを作ってきたんだろうか。
メガネを何本取り替えたのであろうか。
どれほど眼科に通ったのであろうか。
やがて白内障日帰り手術なんていうのも経験するであろう。
私の目は大金のかかった目だったんだなあ。
大金かけてきた目で何を見てきたんだか・・・・
一つ言えることはメガネ業界に多大なる貢献をしたことは確かである。

そんなどうでもよいこと考えながら今日眼鏡店とアイ〇〇〇に行ってきたのであった。

2016年8月15日月曜日

じいさんあいてにおすもう


孫たちが泊りに来ました。
お相撲が大好きな男の子達はじいさん相手に本気でかかっていきます。
孫たちに一番好かれているじいさんです。
娘そっと曰く、「子供たちからは絶大な人気があるね、どこがいいんだろうか・・・・・・」

2016年8月1日月曜日

ヤモリの恩返し

「ムカデを捕るためにゴキブリホイホイを仕掛けたらヤモリが掛かってしまった。」

我が家のもう1ヶ月くらい前の話ですが・・・
ムカデが掛かっているかなとおっかなびっくり隙間から覗いたら
なんか宇宙人みたいな目玉がある、つるんとした皮膚の得体のしれない生き物が
粘着部分に張り付いていた。
よく見るとそれはヤモリでまだ生きていた。
主人が一生懸命剥がしてくれたのだが粘着力が強くなかなかうまく剥せない。
ヤモリも痛いらしくあばれて主人の指にかみついたりしていた。
とうとうしっぽが切れてしまった。
「ごめんね、しっぽはまた生えて来るよ」と外に逃がしてやった。

そんなことがあったことも忘れたころ・・・・
昨日家の中でヤモリを見つけた。
そのヤモリはしっぽがなかった。
私の存在に気が付いたのか隙間に身を隠したが
目玉はこっちを見ている。
目が合った。
ゴキブリホイホイを覗いた時の目だった。
「ヤモリ君生きていたのね~」とつぶやいた。
思わぬ再会が嬉しかった。

ヤモリは縁起が良いと言われ家の守り神とも言われます。
害虫などを食べてくれます。
家守とも書きます。読んで字の如しですね。
我が家を守ってくれるためにまた来てくれたのだ。
命を助けた恩返しってとこかしら。

本当のところをヤモリに聞いてみたいものだ。
口が聞けたらなんていうだろうか。
「この家は虫が多いからですよ。」


2016年7月28日木曜日

家電②エアコン編

我が家にも人並みにエアコンというものが1台あるのだが
ここ20年ほとんど使っていない。
毎年「暑い、暑い、今年こそ熱中症になるからエアコンを使おう」などと云いながら
何事もなく無事夏を乗り切り秋に突入であった。
全くどういう生活をしているのかと思う。
軽井沢に住んでいるわけではないのにだ。
我が家は暑さに強い人種なのかもしれない。
それとも意外と鈍感なのか・・・・

しかし今年の猛暑はすごいらしい、などと情報が流れ
それにこの頃の寄る年波に不安を覚えて
とうとうエアコンを買い替えた。
いつもの家電量販店に下見に行ったら
若い男性の店員が説明してくれたが今どきのエアコンはすごいらしい。

何がすごいのかめんどくさいから左から右に聞き流し、
(私は人の話は聞いちゃいない)
「ようは猛暑の時だけ乗り切れるエアコンでいいので
シンプルなのでいいです」と云ったのに
色んな機能がついているエアコンを勧めてくる。

そこでこのお店で買うのが嫌になって隣のお店へ行き
展示品を見ていたら店員曰く、
「三菱重工は飛行機やロケットのエンジンを作っている会社ですから
性能はいいですよ」などとうまいことを言われた私は
「それでは三菱重工のエアコンにします。」とさっさと決めたのであった。

我が家は洗濯機もエアコンも新しくなり古いのは人間だけになってきた。
でも人間だって体のメンテナンスや生活習慣の工夫次第で長持ちもするのである。
そうそう今日先週受けた人間ドックの結果が届いた。
おかげさまでほとんどAに近く良い成績であった。
学校の成績では取れなかったけれど還暦過ぎてオールAに近いなんて
私もなかなかやるなあと自負しているのであった。

さて準備万端、猛暑よカモンベイビーである。








2016年7月18日月曜日

家電 ①洗濯機編

今日午前は新しいパナソニックの洗濯機が到着、
配送の男性が丁寧な応対で設置して下さいました。
早速溜まった衣類をお洗濯。とても嬉しかったです。
こういったとき自分はやっぱり主婦なんだと思います。

今の洗濯機は全く良く出来ている。
普通のタテ型の全自動洗濯機だが衣類はからまないし、
自動で洗濯槽のお掃除もしてくれる、9Kgの容量にしたので毛布なども洗える。
乾燥機は使わないので乾燥機能付きは無しにした。
操作部も後ろになって洗濯物も取り出しやすい。
泡洗浄がうたい文句でなんとなくきれいに洗える気がする。
見た目もおしゃれでセンスが良い。

今までの洗濯機は12年も使用しました。
普通6~7年と言われますから大当たりといったところでしょうか。
ところで価格ですが家電量販店で下見をしてから
ネットで検索したのですが確かにネットは安いです。
でもいろいろ送料設置料等を足していくとさほど違いはない。
だったらいつもの量販店で色は指定できないが期間限定在庫あと数台・・・
すぐに配送致します。
なんていうのがあってそれに決めてしまった。
結局価格はネットより安かった。
そこのお店のモバイル会員になっているのでポイントも付くし・・・

ということでよいお買い物ができたと喜んでいたのであったが・・・
購入した際に携帯の会員サイトをiモードで提示するのだが
私はそのサイトを閉じることをすっかり忘れてしまい
気が付いたのは翌日・・・・
まる一日つながりっぱなしという、何とも間抜けな自分に腹が立つやら
悔しいやら。
きっと来月のドコモの請求はとんでもなく高くなっていることでしょう。
これではネットより安かったなどと喜んだのもつかの間であった。

でもやってしまったものは仕方ないので
これはなかったことにして明日からバンバン洗濯するぞーーー!

2016年6月19日日曜日

近況報告

昨日マンドリン研究所の発表会がありました。
今年も老体にムチ打って練習に励み成果を発表いたしました。
指の動きも暗譜力も気力も体力も少しづつ変化している自分を感じながら
でも目標を持って励むというのはいくつになっても大切なことです。
無事に終えることが出来てちょっぴりの満足感を味わっています。
また他の人の演奏を聴くことによって来年に向けての気持ちも
湧きあがってきました。
元気でまた一年精進したいです。

話は変わりますがここ数週間は虫との戦いです。
まず毎年恒例のムカデの出没。
でも冷凍殺虫スプレーが威力を発揮しています。
3本も購入していざというときの備えは万全です。
しかしムカデは大嫌いに変わりない。

それとゴキブリホイホイ。
わが家はゴキブリはほとんど見かけないのですが
なにかでムカデも引っかかるとの情報を得たので
早速仕掛けたのですが、成果はさっぱり・・・それどころか
可愛そうにヤモリが引っかかっていました。
まだ生きていたので主人が剥すのに成功。
だけどあまりの粘着力にしっぽが切れてしまった。
ごめんね、でもきっと生えてくるよ・・・

そして今年はダニに体を刺されてあまりの痒さに医者通い。
家じゅう殺虫剤で対策を取ったのにいまだに私だけが刺される。
そんなに私は美味しいのかと悔しくなる。
掃除だって人並みにしているのに・・・

会社が合併になり大きく体制も変わってしまった。
古い人はほとんどこの機会に辞めてしまって残るは数人。
その中にしっかり私も残っている。
でも定年退職まであと数年なので何とか頑張っている。
まだお給料も欲しいし、辞めてしまうと時間を持て余してしまいそうで・・・
会社内がすっかり若者になってしまったが
若い人たちと一緒に働けるのも楽しいし刺激をたくさんもらえる。
悪いことばかりではないと思う。

そんなこんなの近況報告でした。明日からまた頑張らなくっちゃ。







2016年5月10日火曜日

ここは横須賀~

 

GWは特別どこかに行くわけでもなくいたって日常的な毎日でした。
そこでぶらっと電車に乗って最後の土曜日、

日帰りでどこかへ行ってみようと思ったのですが、
目的地が決まらない。

そうこうしているうちに午前10時を過ぎてしまった。
お天気は良くて絶好の行楽日和だというのに・・・
だんだん焦ってきた。
そこにふと思いついたのが昔、山口百恵が歌っていた
「これっきり、これっきりですか~・・・ここは横須賀~」というのを
思いついた。

ということで横須賀へ出発。
いつも私は行き辺りばったりで計画性がない。
1人で行きたかったのにどーいうわけか隣りを見たら主人も一緒。
いやな予感は的中で、黙ってくれば良かったと後悔しきり。
それでも昼過ぎには横須賀に到着。
ご当地名物「横須賀海軍カレー」を食べたかったのに
「スシロー」がいいと主人が言いだし仕方なく「スシロー」へ。
何もここまで来て回転寿司に行かなくったていいではないか。
なんだか泣きたくなってきた。

気分はブルーになっていたがそれを吹き飛ばしてくれたのが
目の前に広がる軍港の景色。
「軍港めぐり」のクルーズ船が出ていてそれに乗船した。
海上自衛隊の護衛艦、たぶんイージス艦だと思うけれど
ものすごく大きな巨体に圧倒、また米軍の基地もあり
そこに停泊していたのはなんと原子力空母の「ロナルド・レーガン」だった。
とにかく湾内に停泊しているアメリカ海軍や海上自衛隊の潜水艦、艦船を
まじかに観ることができるのです。
また海上自衛隊の艦船に積まれていた深海を探索する「しんかい」も目にすることが
出来ました。
あまりの迫力に興奮してしまいました。
このクルーズは絶対お薦めです。

横須賀の町中をアメリカ人や海上自衛官の制服を着ている人が普通に歩いていて、
お店も英語の看板も多く、沖縄や横田基地の雰囲気と同じような気がしました。
新発見は自分が軍艦や艦船に感動してしまったということでした。
いくつになっても感動する心を持ち続けたいものです。
と、いうわけで私の安上がりな今年のGWはこれでおしまい。
また普通に仕事に行く日常がはじまります。









2016年5月6日金曜日

マッサージ機

以前にもブログで書いたことがあるのですが
我が家にはマッサージ機があります。
ずいぶん前に主人が知人から安く購入したのですが
大きくて重くて場所を取るので私は処分してほしいといつも言っていました。
邪魔にされながらもなんとかリビングに鎮座しているマッサージ機ですが・・・

この頃は孫たちが遊びに来ると
このマッサージ機の上によじ登るようになりました。
子供にとってみるとこの背もたれの一番上に立ち上がると
かなりの高さになるので面白くて仕方ないようです。
一番下の2歳の孫も登れるようになりました。
いわゆるジャングルジムといったところです。

ここで主人は一言
「マッサージ機あってよかったなー」
私に聞こえるように云いました。
いままで邪魔扱いされて肩身が狭かったけれど
ジャングルジムとして孫たちの役に立っていると
云いたいのでしょうね。
本来の目的とはかけ離れているけれど「まっ、いいか」。

2016年4月5日火曜日

結婚記念日

今日は結婚記念日でした。
35回目です。
よくもまあこんなに長く結婚生活が続いたものだと思います。
朝、主人に「今日は結婚記念日よ」と言ったのですが
「ああ、そうだった」とのお返事でそれで終了。
我が家のいつも通りの一日が始まり帰宅後は普通に夕食。
特別そのことが話題になるわけでもなく
テレビを見て今日のニュースに耳を傾けました。

あと何回二人して結婚記念日を迎えることができるのでしょうか。
そう思うともっと記念行事なるものをしてもいいと思うのですが
お互いそこまでしようとは思わないところが我が家流といったところです。
とにかく平穏無事に一年に一回の結婚記念日は終わろうとしています。
来年もお互い元気に迎えることができますように・・・



2016年3月16日水曜日

私は18歳

私の仕事は一般事務職だが
クレームの電話受付から始まり、未入金のお客様への督促、嫌な仕事も多い。
その上重い商品を積んだりどかしたりと肉体労働もあり、
ついでにお茶くみ、コピー取りと何でも屋である。

でも仕事で一番精神的にこたえるのがブラックリストに載るようなおかしな人からの電話を
取ってしまった時である。
その男性からの電話を受けた時は最低限の話で終わらせるように相手にしないよう
指示があるのだがどうしてこうして電話で暴言を吐きまくるのが生きがいのような人なので
電話を取ってしまったら最後万事休すである。

前回も同僚がその電話を受けてしまい、何もこちらは悪くないのだが
ただひたすら謝り続け、罵詈雑言を聞き流し相手が疲れるのを
待つしかないのである。
そしていつもの通り「バカ女、お前の歳はいくつだ」と言われて
彼女は「51歳です」と小さく答えてしまった。
その年齢が面白くなかったみたいでますます男性は激高していた。

で、今日は私がその電話を受けてしまったのであった。
はなから怒りはじめ私の返答が気に入らなかったらしく何時もの通り
「バカ女、年はいくつだ、」と切れまくっていた。
「61歳です。」と正直に云えばどんな反応をするかと
一瞬思ったのだけれどそれはやめて黙っていた。

最終的に相手は怒鳴り散らすのに疲れたみたいで
私も受話器を耳から離し机の上に置いて他の仕事をしながら
聞いていた。
やがていつのまにか電話は切れた。
血圧上がって具合悪くなったのかしら。

年はいくつだ、と言われてこう答えれば良かった。
「18歳でーす」
こんなチャンスめったになかったのに残念であった。
今度またこの電話に当たったときはそう云おうと思っているのである。

2016年3月6日日曜日

幸せな奴だ


レオが死んだ翌々日、動物病院からお供えのお花が届きました。
これにはびっくりぽんでさっそく院長先生にお礼の言葉を伝えたのですが
「よく頑張ったレオ君に飾ってあげて下さい」とのことでした。
長い間糖尿病で治療を続けていて先生も大変さもわかっていたと思います。
このお花はちょっぴり私の献身的な世話に対するねぎらいでも
あると自分で勝手に思ったりしました。
早速玄関に仔犬の頃のレオの写真と一緒に飾りました。
なんて素敵な花篭なんでしょう。

わがままな犬にしつけてしまったので近隣からはうるさい犬と言われ
娘たちからは歯槽膿漏が臭いだの汚いだの言われ
まったく今まで飼った犬の中で一番手がかかり金がかかり
うんと長生きしてしまったレオ君。
でも君は良くわかっていたよね。
主人が今月で定年退職だからもう経済的負担を
かけられないって、ここらが潮時だって。
ありがとうね。
一番困った奴だったなのに最後はお花なんかもらっちゃって、
なんて幸せな奴なんだ!

2016年3月3日木曜日

ありがとう、レオ君

今朝未明我が家の老犬レオが死にました。
15歳でした。
晩年は生意気にも人間と同じ「糖尿病」を患いましたが
私の献身的なサポートでどうにか日常を過ごしておりました。
寄る年波には勝てず目も見えず耳も遠くなり寂しい毛並みに成り果てました。
ただ毎日ウトウトしている日々でしたが
私が帰宅するとそれだけはわかるらしく吠えてくれました。

15年間ずっと一緒に寝ていましたが最後も私の布団の上で
長い間苦しんでいましたが明け方私が寝てしまった間に
息を引き取りました。
朝冷たくなってしまったレオを触ってみて看取ってあげらなかった
事が悔やまれました。

でも充分可愛がってやったし世話もしてあげた。
自分で云うのもおかしいけれどこれで良かったと思います。

さっき獣医さんに挨拶に行って使わなかった糖尿病食の缶詰やら
注射器を置いてきました。
いままで我が家で飼っていたボブ、メリーも看てくれた院長先生が出てきて
ひとしきり犬たちの思い出を話しました。
ボブは歯槽膿漏で先生に全身麻酔で歯を抜いてもらったこと、
メリーは子宮の病気で死にかけて手術をしてもらったこと、
先生は「レオ君が糖尿病でもこんなに長くがんばったのはお母さんが
よく見てあげたからですよ、普通1年くらいで尿毒症になってしまったりと
最後は苦しんで大変なのですが15歳は大往生ですよ」と
云って下さいました。

「先生もう犬を飼うのはおしまいです。長い間お世話になりました。」
と云ったら涙がこみ上げてきました。
考えてみたら10年も旅行に行っていなかった。
これからは日本の各地を回ってみたいと思っています。

レオにかじられたり汚された家具、壁、畳、床、布団、
これから徐々に整理したりきれいにして私も気持ちを切り替えようと思っています。
明日主人とボブやレオのお母さんのメリーが眠っている
我が家の裏手にあるお墓に一緒に埋めてあげます。
レオ君長い間我が家の家族の一員としていてくれてありがとう。






2016年1月25日月曜日

お誕生日

今日は私のお誕生日でした。
このところ仕事が忙しく余裕のない毎日を過ごしていました。
自分でもお誕生日を忘れそうになっていて昨日思い出したくらいです。
今日はきっと誰も気づいてくれないだろうと思いながら仕事に行きました。
残業をして疲れ果てて帰宅したのですが主人は全くお誕生日に気が付いていません。
いつも通りの夕食が終わりしばらくしてさっさとお風呂に入り就寝してしまいました。
60代の夫婦でもお誕生日はどのように過ごすのでしょうか?
色々よそ様の場合を聞きたいと思います。

1人ポツンとしていましたら長女から携帯が掛かってきました。
孫たちから拙い言葉で「おばあちゃんお誕生日おめでとう」と言われました。
そして次女からも携帯が鳴り孫たちが代わる代わるおめでとうコールを言ってくれました。
そのうち携帯の向こうで兄弟喧嘩が始まり可笑しかったです。

そうして最後に私の妹からもメールが届き短い文章でしたが
暖かい気持ちが嬉しかったです。
今日の電話やメールは何物にも代えがたい最高のお誕生日プレゼントでした。

ところで就寝中の我が家のご主人様は今日は大事な奥様のお誕生日だとは
つゆともしらずいびきをかいて幸せな夢の中へ入っていったのであります。

2016年1月1日金曜日

新年おめでとうございます

 今年もよろしくお願い申し上げます。
 

 
 
穏やかに新年が明けました。
今年は体調に気を付けたいと思っています。
60代になった途端にあっちもこっちもガタが出始めました。
うまくコントロールして1年乗り切りたいと思っています。
 
この鳩時計は実家の母が娘の七五三のお祝いにと
買ってくれたのですが中が錆びついて動きません。
処分しようか悩んでいます。
でも捨てるには忍びない。
動かなくてもいいから壁に飾っておこうかと思います。
 
この頃バンバン捨ててしまってあとから後悔が押し寄せてくることが多く
思い出のあるものは捨てがたいことに気が付きました。
 
~今年はどんな一年になるのでしょうか~
家族も日本もそして世界中も平穏な一年であるよう願っています。