2011年11月24日木曜日

組み立て音痴

昨日洋服が何着も掛けられる洋品店にあるようなハンガーラックを
自分で組み立てた。
通販で購入したものだが今どきの簡単な棚やらラックなどは
自分で組み立てるようになっている。
「組立て代は別途有料です」なんていうのも意外とあるから
私みたいに組立てが苦手な人も結構いるに違いない。

我が家は通販で頼んで自分で組み立てた家具のようなものは以外とある。
しかし主人はどういうわけかこの組み立てを一切手伝ってくれない。
どんなに私がうまくできないとか騒いでも知らん顔だ。
だいたい常識的な夫婦だったらご主人が組み立てるだろう。
奥さんが「あなた今度の休みに組み立てておいてね」というのが普通だと思う。
だから我が家は普通ではないのだ。

ということで毎度の如く自分で組み立てることになった。
私は能書き、取扱い説明書等、本来読むのが大嫌いだ。
ようは面倒くさがりというか・・・
なのでついつい適当に飛ばし読みして勝手に組み立て始める。
するとここは「取り説」を読まなかった罰として途中で行き詰る。
でもまあいいやとどんどん作業を進めると
「あーー。やっぱり違う」という悲劇に見舞われ
結局初めに戻らなければいけなくなったりする。

部品というかネジやらボルトやらワッシャーがいくつか余ってしまい
本当はどこかに使わなければいけないのに
「もうここまで出来たからこのまま行こう、」と満足して出来上がってしまうのである。
当然たてつけもガタつき、扉もひとりでに開いてしまったり・・・
結局素人が組み立てたものは所詮こんなものなのだ。
でもまあいいか・・とあきらめる。

その上、以前のブログでも書いたが私は
方向音痴、結び目音痴、空間音痴である。
だからうまれつきこのようなものは苦手なのだから
組み立て音痴は当たり前である。
このたびの家の増改築で大工さんの仕事ぶりを
ずっと観察する機会に恵まれたが本当に感心してしまった。


けれど組み立て音痴が今迄我が家の棚やらラックなどを
組み立ててきてそれが何とかなってきているのだから
世の中なんてなんでも何とかなってしまうのだと
妙に納得したのであった。

ところで昨日組み立てたこのハンガーラックであるが
やっぱり取り説をちゃんと読まないで始めた罰として
完成後フックが余ってしまい、泣く泣く途中まで
分解してどうにか完了したのであった。
あとで主人に「出来上がったのか?」と聞かれたけれど
「手伝ってもくれないくせに何を言っているのよ・・」と思いながら
「まあね~」といい加減な返事をした。
なんとか仕上がったハンガーラックを見て結構
自己満足している私である。

2011年11月22日火曜日

東京タワー



きのう東京タワーに上りました。
ちょうど黄昏時に展望台に上り、都心の暮れゆく様、
宝石のようにきらめくビル群の美しさにしばし見とれてしまった。
展望台はわざと暗くなっていて外の夜景が美しく見えるように
配慮されています。
展望台を一周すると都心をあたかも一周したように感じられ
東京は本当に美しい。

私は小学1~2年生の頃私のおじいさんに連れられてこの東京タワーに上った記憶がある。
もう50年ぶりと言うことだろうか。
確かこの展望台の売店で森永キャラメルを買ってもらった様な気がします。
おじいさんと都心を見下ろしている病弱で神経質な小学生の私が
今そこに立っているような気がしました。
そうして今の自分と子供の自分がお互いを見つめているような不思議な錯覚。

50年という時間の流れなどあっという間、
大したこともしないくせに時間ばかりがどんどん過ぎ去り
気が付いたらあの時一緒に上った私のおじいさんと同じように
自分が「おばあさん」と呼ばれるようになってしまっていた。
いつか孫が小学生頃になったら連れてきてあげたいと思った。
この調子ではまた私の孫が50年後この東京タワーに上って
「そういえばおばあさんとここに来て森永キャラメルを・・・」などと
思いめぐらすのもそう遠い先のことではないかもしれない。


スカイツリーを見上げて・・・



実は今日は「はとバス」に乗って東京駅から出発
国会議事堂、ホテルでバイキングのお食事、築地散策、スカイツリー、
最後にこの東京タワーだったのである。

バスの車窓から眺める景色に時々昔と変わらぬ東京を感じ
とっぷりと暮れた東京駅丸の内側で黄色いバスを降りたのであった。
振り向くと黒々とそびえたつオフィス街からたくさんのサラリーマンたちが
吐き出されて皆一心に駅に向かって家路を急いでいた。

「30年前、私もこの駅から会社へ通っていたのよ」と一人つぶやいたけれど
人波に押されたおのぼりさんが帰宅を急ぐサラリーマンの流れを
邪魔しているようであった。
私には近くて遠い東京都心である。

2011年11月19日土曜日

寝顔


先日我が家に車で遊びにきた長女の孫ですが着いたとき眠っていました。
そのまましばらくながめていましたが小さい子はどうして同じ格好で長い時間
そのままの姿勢で眠れるのでしょうね・・・

まもなく2歳になる孫は人見知りの激しい子で私にちっともなついてくれません。
そばに行くとプイと向こうを向いてしまいます。
本当はおんぶしたり、おばあちゃん!などとなついてほしいのに
現実は上手くいきません。
まあ焦らずなついてくれるのを待とうと思います。



今日次女の婿さんのお母さんと私と次女と女三人でお昼のお食事を
しました。次女は来月初めての子が生まれる予定です。
男の子です。私にとっては2番目の孫です。
来月早々我が家に里帰り出産のため帰ってきます。
この婿さんのお母さんにとっては初めての孫となるので
楽しみにしている様子がよくわかりました。

そして来年6月頃3番目の孫が生まれる予定です。
この孫は長女の二番目の子になります。
なんだか「子孫繁栄」というまっただ中にいるような気がします。
自分のたいした血筋でもないのですが、
DNAが続いていくのかと思うととても不思議な気がします。

2011年11月18日金曜日

ハエたたき


これはシュロでできているハエたたきです。
昔から我が家にあリました。
この度の家の増改築の際ほとんどの物を処分してしまったのですが
どういうわけかこれは残っていました。
なかなか味のあるハエたたきで100円ショップで売っている
プラスチックのハエたたきとは違います。

ハエは夏の時期の虫と言う感じがありますが
いえいえどうして11月になるというのにいまだに生き残っているのです。
しかしもう動作は鈍いし、まもなくお迎えがくるのでしょうか、
最後の力を振り絞って家の中で食べ物にたかったりしてうっとおしいです。
しかし今ならハエの観察をするのにはちょうど良いです。

昔高校生のとき英語の先生で「ハエ」というあだ名の男の先生がいました。
ハエのように両手をいつも刷り合わすのが癖でした。
体育祭の仮装行列でこの先生にハエの格好をさせて
グランドを練り歩いた記憶がありますがそれは高校生だから
許された懐かしい思い出です。

観察の結果わかってきたことがあります。
ハエは賢いです。
さんざん頭の周りを飛び回ったりしてさあ、ハエたたきでたたくぞ!と
ハエたたきを用意するといつのまにやらいなくなります。
しかたなくハエたたきを置いておくとまたやってきます。
なんだかハエに馬鹿にされているみたいです。

それとハエの好きな場所がわかりました。
今時分のハエは体力がありませんから暖かくてつるつるしているところが
好きなようです。
たとえば電気ポットの上とか炊飯器の蓋あたりにじっとしています。
そのようなときはハエたたきでやっつけるチャンスですが
まもなく死んでしまうしかわいそうかなと思ったりします。
あともう一つハエが好きな場所、それはピカピカ光るおでこや
つるつるした頭です。

主人はしょっちゅうたかられていてくやしがっています。
ハエの好きな場所を知っている私は「やっぱり・・・」などと思いますが
決して口には出しません。
ましてやハエたたきなど使えるわけがありません。
もうしばらくの命、そっと見守ってやりたいと思います。

2011年11月17日木曜日

舌きりすずめ



今日の図書ボランティアは「舌きりすずめ」だった。
直前まで「こぶとりじいさん」を読もうと思っていたのだが
他のボランティアの方が「こぶとりじいさん」を読んだことがわかって
急きょ「舌きりすずめ」に決めた。


すずめがおばあさんの洗濯のりをなめたことから物語は始まるのだが
今どきの子に「洗濯のり」ってわかるかな?と思ってしまった。
私が子供の頃まだ近所のおばあさんが和服をほどいて
タライで洗ってのりをつけて一枚一枚板に張り付けて乾かしている光景を
覚えているのだが今の子供にそれを想像しろと言っても無理だし・・・

でもなんとなくイメージはわかってもらえるかなと勝手に判断して
読み始めた。
いつもの如く大あくびをしている子、だんだん寝転がってくる子、
落ち着きなくそわそわしている子、鼻くそをほじくっている子、
隣の子にちょっかい出している子。。。
と、まあいろいろな子がいるがそのたび先生が注意をしている。

私も子供の頃以来真剣にこのお話を読んだことがなかったので
この年になってしみじみ考えてしまった。
だいたい昔話はお爺さんの方がいいお爺さんで
お婆さんは悪いお婆さんが多いような気がする。
お爺さんが可愛がっていたすずめを洗濯のりをなめたぐらいで
お婆さんはハサミで舌をちょん切るなんてなんてことだろう。
そしてお爺さんがすずめのお宿を捜して帰りにもらったものが
小さいつづら。お爺さんは小さいつづらをもらったのだ。
なんて遠慮深いのだろう。
でも今の子って「つづら」って意味わかるかな?
荷物が重ければすぐ宅急便だものね・・・

持ち帰ったつづらの中には宝物がザクザク。
それを見たお婆さんはすずめのお宿に行き
大きなつづらをもらって帰る。
欲深いお婆さんならではの行動だ。
途中、中身を見たくなりフタを開けると中からは
大入道、大ムカデ、三つ目小僧、ガマ、ヘビが出てきてこんばんは~。

というなんともおもしろい話なのだが
「こぶとりじいさん」も「花咲か爺さん」も「舌きりすずめ」も「笠子地蔵」も
みんないい爺さんだ。
なんで昔話は爺さんがいい爺さんなのだろうか?
昔々いい婆さんがいました。と始まるお話はないような気がするのだが。


やっぱりこんなところにもまずは男優先、というか
爺さん優先、という昔の社会を感じてしまうのである。
現実は頑固で偏屈で短気で自分が一番正しいと思っている爺さんが
世の中にはいっぱいいるのになあ・・・
読み聞かせをして自分が勉強させてもらっていることに
気がついた一日でした。

帰りに校長先生に「今日の子供たちの反応はどうでした?」と
聞かれて、何と答えてよいかわからず
「やはり日本の昔話はいいですね。いろいろ教訓が込められていますね」
などとちょっと偉そうなことを言って校舎を後にしたのだった。

2011年11月15日火曜日

柚子


我が家の柚子が植えてから今年初めて
こんなに大きくそしてたくさん実をつけました。
今迄2、3個、それもゴルフボール程度の小さな実でした。
それが今年はどうしたことでしょうか。

柚子はお料理にも重宝しますしお風呂に入れてもいいし、
お菓子作りやジャムでもいいしと、本当にありがたいかんきつ類です。
柚子がお店に並ぶとそろそろ今年も終わりだなあと感じます。

「桃栗三年柿八年、柚子のバカメは十八年」とよくお姑さんが言っていました。
本当に実が成るまで時間がかかるのですね。
待っているじれったさからバカメなどともじったのかもしれません。
簡単にはいかないけれど時間をかけてやっと開花したものは
それなりの価値があるということなのでしょうか・・・
人間でいえば「大器晩成」というところでしょうか。

自分は早咲きでも大器晩成でもなかった・・・
などと柚子を見るたび思うのであります。

2011年11月13日日曜日

ハーレーダビットソン

ハーレーダビットソンというバイクはなかなかカッコイイ。
若者ではなくそれなりのおじさまが乗るからカッコイイのだ。
よく高速のサービスエリアに集団で休んでいるところを見かける。
股を大きく開き乗る格好、鋲やらエンブレムを打ち込んだ皮ジャン。
エルビスプレスリーのジャケットの如く袖口やらにフサフサした飾りが
何とも言えず楽しい。
腹の出た体型だって皮のパンツも似合ってしまうし、
アメリカの警官がかぶっているようなヘルメットだって
本当はヘルメットをとれば禿げ頭かもしれないけど
サングラスも手伝ってどういうわけかカッコよく見えてしまう。

それにあのエンジン音、普通のバイクとは全く違うし
きっと運転したら気持ちいいのだろうな。
とにかくバイクだけではなくカッコからすべて決まらないと
ハーレーダビットソンに乗っているとは言えないのではないか。

話は変わるが私は昔、免許取り立てで原付バイクで走っている時
田植えが終わったばかりの田んぼに落っこちてしまった。
バイクは土手に引っ掛かり、自分は宙を切っておたまじゃくしがいる
田んぼに足から着地した。
その時のみじめさと怖さはずっと忘れられず
もう二度とバイクは乗らないと誓ったのであった。
けれどハーレーを見るとなぜかドキドキしてしまうのである。

私がまだ子供の頃よく父の叔父が家にやってきた。
この時の父の叔父はもう80歳近かったと思うが
お洒落でダンディーで普通のおじいさんとは全く違う雰囲気を持っていた。
聞くところによるとまだ日本にハーレーダビットソンが数台しかない時代
このハーレーの後ろに女性を乗せて「青梅街道」を飛ばしたものだった、と
言う話をよく聞いた。「青梅街道」というところが時代を感じさせる。
道行く人がみなびっくりして振り向いたものだという話を懐かしそうに
嬉しそうに話していた。
この叔父さん放蕩がたたって商売を傾けてしまったそうである。

ということでハーレーダビットソンは私にとって
子供の頃聞いたこの父の叔父さんの話やら
映画の「ターミネーター」でシュワ様が乗っているシーンや
ときどき見かけるおじ様たちの颯爽と走る姿などが
まぜこぜになってハーレーダビットソンはカッコイイと思っているのである。

おととし大事な昔からの仲間が亡くなってしまったが
彼はこのハーレーダビットソンにのって日本中を走った人だった。
オートバイ好きの主人は彼のように自分もいつかはハーレーに乗るのだと
決めている。
この頃しきりにインターネットで何か検索している。
覗いたらやっぱり中古のハーレーダビットソンを
見ていたのだった。
「ハーレーなんかうちでは買えないわよ」と言いたい言葉を
ぐっと飲み込んだ私であった。

2011年11月9日水曜日

電気ドリル



やっと増改築も終わりに近づき家の中はひととおり完了。
あとは外回りを残すのみになりました。
昨日は電気屋さんが来て井戸の配線工事が終わりました。

テラスの鉄骨の錆がひどかったのでこれは塗装屋さんに頼み塗り替え済み。
そして今日はテラスの屋根をポリ化波板で主人と張ったのです。
材料はホームセンターで購入しました。
主人が上から波板を押さえ私が脚立に乗り下からドリルで穴を開ける
そしてボルトで留めると言う作業です。
なにしろ電気ドリルなんぞ歯医者で歯を削られることはあっても
自分がドリルで穴を開けるなんて考えてもみなかった。

「電気ドリルなんて怖いから嫌だ」と言ったら「嫌だってやるしかないだろう」と怒られ
渋々始まった作業。
このマシンガンのようなドリルは結構重く拳銃のように持ち
引き金を引くように人差し指でスイッチを入れます。
そうするとすごい勢いで先端が回転を始めます。
板の屑が飛び散るので初めは目を半分閉じながら
おっかなびっくりのへっぴり腰だったが
だんだん要領が呑み込めてあっという間に作業は完了した。



見事にテラスの屋根が新しくなりこれで10年は持つだろう。
しかし電気ドリルって結構面白い。
どんどん穴を開けていくうちいろんな所を開けたくなってしまった。
これはけっこうストレス解消になる。
何でもやってみるもんだ、とつくづく感じた私でありました。

2011年11月5日土曜日

泳げ鯛焼き君


これは鯛焼きです。
近くのスーパーの入り口で年配の夫婦が屋台を出して焼いています。
1個100円、あんこがいっぱい入っていて皮も目いっぱいはみ出していて
鯛の格好には見えないけれどとても美味しいのでいつも行列ができています。
屋台のご主人は無愛想でいつも怒った顔をして鯛焼きを焼いています。
一度だってお客様に「ありがとうございます」と言ったことはありません。
でも奥さんが全く正反対の愛想の良い人です。
世の中ってこうやってうまくできているのだなあと、思います。

先日この鯛焼きを買ってきたのですが結局食べきれず困っていたところへご近所さんがまたもや
同じ鯛焼きを5個もくれたのです。
ありがたいけれどどーしようという心境でした。
もったいないので毎日1個をノルマにオーブントースターで焼いて頑張って
食べました。
しばらく鯛焼きはいいです。
昔「泳げ鯛焼き君」という子供向けの歌が流行ったけれど
あの歌詞の一部の
「お腹のあんこが重いけど~」というくだりが
どうも自分に当てはまって仕方ない1週間でした。

2011年11月2日水曜日

薪ストーブ試運転


だんだん寒くなってきていよいよ薪ストーブをつけてみた。
本当は「火入れ式」なるものを仲間を集めてやろうなどと
云っていたのだがなにしろ増改築がまだ終わらず
そうこうしているうちに11月になってしまったのだ。

着火は新聞紙をまるめて簡単に火がついた。
薪ストーブの威力は全くすごかった。
あっという間に部屋が暖まる。
そして火が消えてもいつまでもほんわかと暖かい。

しかし薪の乾燥が不十分でタールが発生したようで
それが煙突から垂れて壁と煉瓦にしっかり染みついてしまった。
私はパイン材の壁に付いた黒いシミをみて大きなショックを受けた。
主人もボー然と見ていたのでかなりショックなのであろう。
そして燃えている最中何度も扉を開けて覗いたりしたものだから
部屋の中に煙が充満してしまった。


薪を燃やしている間はどうしても部屋がきな臭い。
薪ストーブの周りは薪を置いたりしたものだから
木くずなどが散らばっている。
主人はうっかりストーブの扉のハンドルの部分を素手で
触ってしまいやけどをしてしまった。
孫が遊びに来たときは薪ストーブは使えないな。


やはり楽な暖房設備に慣れていた私たちは
まずこれからこの薪ストーブの特徴をよく理解して
上手く付き合っていくしかない。
体力がなくなったら薪ストーブは無理だ。
でも今、巷では薪ストーブはかなり人気らしい。
ご近所さんでも薪ストーブの家は数件ある。
皆口を揃えて「薪ストーブはいいよ」と言う。
だからこれからコツがわかればきっと我が家でも
「薪ストーブにしてよかった」と思うに違いないと思いたい。

とにかく今は主人は薪ストーブに燃えているから
傍で何を言ってもだめだろうから
しばらく好きにやってもらって、
いずれ使わなくなってしまっても
部屋のインテリア、金庫などにすればいいのだと
遠い将来を私は考えているのである。
けれど一つ言わせてもらうとじっとストーブの火を見ていると
なぜか心が安らぐというかホッとする気持ちになるのは確かである。