2010年3月2日火曜日

コメント

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にゃ。
一昨年に祖母を亡くしました。
いよいよ危ないかもしれない、という連絡がきても
祖母の事だしなんとかなるかもしれない。
行こうかな、どうしようかな、でもお金かかるし、と
とても下らないことを
のんびり考えている間に
彼女は逝ってしまいました。

祖母がどれほどつらい闘病生活をしていたのかも
最後に間にあわないということが
どれほど後悔することなのかもわからず

いつも小言ばかりで
罰あたりにもうっとおしく思っていた私。
失って初めてどういうことなのか気づきました。

なんにもかえせず
突然、いなくなってしまいました。

あまりの突然さに、理不尽さに
亡骸を目の前にして泣き崩れてしまいました。

不甲斐ない孫で
ほんとうにごめんなさい、おばあちゃん。
もっと孝行すれば良かった。

喪失を経験して、いまは
いろんな人を大事にしようと考え
思いをつたえ、行動しようとしています。

唯一のなぐさめは
私がいわゆる一流企業に就職できて
自分の孫が就職したという事を
とても誇りに思っていたそうです。

ずっと苦労しどうしで
皆の心配ばかりしていた祖母。
右往左往する子供や孫を見て
変わらず心配しているかもしれないけれど
今は安らかでいることを祈っています。

「死」というものは
「突然」で「理不尽」だと思います。

今でも祖母の事を思うと泣いてしまいます。
「かなしい思い」は薄まることはあっても
ずっと、「かなしい思いはあるまま」だと思います。

でも、それでも
どうかその方が安らかに眠られますよう
dorinさんが心穏やかになれますよう
心からお祈り申し上げます。
dorin
にゃ。さん。人は皆そうやって後になって気づかされ、後悔し、
大人になっていくのですね。そして残りの人生をどうやって
生きていくか考えるのですね。先立つ人は残ったものに
そうやって気づかせる役目を持っているのです。誰でも
いつかはその役目をするのです。にゃ。さんのおばあ様は
そのことに気づいた孫を嬉しく思っていますよ。
にゃ。
有難う御座います。
take
dorinさん,友人との突然の別れはおつらいでしょう.
でもね,悲しんでばかりでは友人の本意ではないですよ.
「なんで突然逝っちゃうのよ!お尻たたくよ!」そんなdorinさんとの
想いでを楽しんでおられると思います.
dorin
そですね。明日は告別式。思いっきり泣いたら気持ちを切り替えよう。
きっとどこかで日々楽しくやっている私を見ていてくれていると思います。

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