人形供養、ぬいぐるみ供養
義母が亡くなってぽつぽつ母屋の整理を始めている。
義母は13年も入院していたがやはり入院中でも勝手に母屋を片づけるわけにもいかず
ずっとそのままだった、
母屋は誰も住んではおらずまるで物置と化していた。
母屋にはたくさんのガラスケースに入った日本人形やらお雛様やらぬいぐるみがある。
日本人形は義母が嫁いできた時に買ったと言う60年も前の藤娘の人形などなど、
義姉達が預かってくれと置いていった日本人形たち、
五月のお節句の兜やら、お正月の弓破魔、羽子板、娘達のお雛様etc・・・
まるで人形屋ができるくらいのすごい数である。
この人形達をいつまでもそのままにしておくわけには行かずいつかは整理していかねばならない。。。
そして結局、私がいつか片付けるしかないと思っていた。
そしていまその時期が来たのであった。
しかし藤娘は60年の歳月を母屋の床の間で家族を見守ってきただけあって
ちょっとこわい。
勝手に処分などしようものなら祟られそうである。
どうしたらよいのか悩んでいた。
そうしたら長女が新聞の折込にこんなものがあったと教えてくれた。
それは近くの農協主催で人形供養をするとの事。
一体100円ほどで受け付けて僧侶を呼んで読経して焚き上げてくれるとのことであった。
これは良いチャンスだと思った。
娘達のお雛様とお正月の羽子板飾りは残したが他は思い切って出すことにした。
しかしガラスケースは出せないので自分で処分しなければならない。
十数個のガラスケースをいったいどうやって処分したらよいのか頭が痛い。
あとは娘達が子供の頃に遊んだぬいぐるみがある。
これもダンボール3箱はある。
一つ一つに思い出があり捨てたくはなかったがやはりいつまでも取って置いても仕方ないだろうと
思い切って供養に出すことにした。
最後に写真を撮ってあげた。
こうやって夢を子ども達に与えてくれたぬいぐるみたちともお別れである。
いつまでも手元においておきたいものもあるけれどもう思い切って処分しよう。
人形供養、ぬいぐるみ供養というものがあってよかった。
とても粗大ゴミとして出すのは忍びないから・・・
義母は13年も入院していたがやはり入院中でも勝手に母屋を片づけるわけにもいかず
ずっとそのままだった、
母屋は誰も住んではおらずまるで物置と化していた。
母屋にはたくさんのガラスケースに入った日本人形やらお雛様やらぬいぐるみがある。
日本人形は義母が嫁いできた時に買ったと言う60年も前の藤娘の人形などなど、
義姉達が預かってくれと置いていった日本人形たち、
五月のお節句の兜やら、お正月の弓破魔、羽子板、娘達のお雛様etc・・・
まるで人形屋ができるくらいのすごい数である。
この人形達をいつまでもそのままにしておくわけには行かずいつかは整理していかねばならない。。。
そして結局、私がいつか片付けるしかないと思っていた。
そしていまその時期が来たのであった。
しかし藤娘は60年の歳月を母屋の床の間で家族を見守ってきただけあって
ちょっとこわい。
勝手に処分などしようものなら祟られそうである。
どうしたらよいのか悩んでいた。
そうしたら長女が新聞の折込にこんなものがあったと教えてくれた。
それは近くの農協主催で人形供養をするとの事。
一体100円ほどで受け付けて僧侶を呼んで読経して焚き上げてくれるとのことであった。
これは良いチャンスだと思った。
娘達のお雛様とお正月の羽子板飾りは残したが他は思い切って出すことにした。
しかしガラスケースは出せないので自分で処分しなければならない。
十数個のガラスケースをいったいどうやって処分したらよいのか頭が痛い。
あとは娘達が子供の頃に遊んだぬいぐるみがある。
これもダンボール3箱はある。
一つ一つに思い出があり捨てたくはなかったがやはりいつまでも取って置いても仕方ないだろうと
思い切って供養に出すことにした。
最後に写真を撮ってあげた。
こうやって夢を子ども達に与えてくれたぬいぐるみたちともお別れである。
いつまでも手元においておきたいものもあるけれどもう思い切って処分しよう。
人形供養、ぬいぐるみ供養というものがあってよかった。
とても粗大ゴミとして出すのは忍びないから・・・
コメント
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お義母様のいろいろな思いをdorinさんが引き受けて下さっているんですね。
精神的にも肉体的にも大変なことと思いますが、天国のお義母様も感謝しておられると思います。
それが思い出の深いものであればなおさらですね。
しかしいつかは思い切らないと家の中は物に溢れてしまうし・・・
自分も体力のあるうちでないと・・・
きっと義母も許してくれることでしょう。