義母とのお別れ
ゴールデンウイークが始まった4月29日夜中、病院から呼び出しがあり
駆けつけたが間に合わず未明に義母が亡くなりました。
85歳でした。
義父が亡くなりその後そのショックから体調を崩し13年間入院をしていました。
ボケてはいなかったので本人も長い入院生活はつらかったと思います。
入院中に3度も骨折、手術をして体には金属の骨が入り、だんだんと寝たきりになってしまいました。
私はこの義母と入院生活を含めて30年間家族として暮らしました。
この家に嫁いでからの義母との数々の思い出がよみがえります。
私は今の家の環境とはまったく違うところからきたのでなにより戸惑うことだらけ。
今になって思えば、わがままな私がよくやってこれたと思います。
いわゆる嫁姑との間では親子のようにはいかず苦しんだこともたくさんありました。
入院するまえは短期間でしたが下の世話もしたし、病気に家族中が振り回されました。
でもいまこうやって義母を見送りひと段落すると「もっとこうしてあげればよかった、
こんなこと言わなければ良かった」と大きな後悔がたくさん押し寄せます。
でもその時は自分はそれが精一杯だったのだと自分に言い聞かせ、誰でも後悔のない人は
いないのだと思うようにしています。
そうして人間はこうやって老いて人の世話になって死んでいくのだと教えてもらいました。
我が家に昔、嫁つぎ苦労をしたお姑さんがあって今の家族があるのだと感謝をこめて
供養をしてあげたいと思っています。
今は本家としての葬儀後の雑事にしばらくは追われるけれど
これは姑からバトンタッチされた私の役目とおもって頑張りたいと思っています。
駆けつけたが間に合わず未明に義母が亡くなりました。
85歳でした。
義父が亡くなりその後そのショックから体調を崩し13年間入院をしていました。
ボケてはいなかったので本人も長い入院生活はつらかったと思います。
入院中に3度も骨折、手術をして体には金属の骨が入り、だんだんと寝たきりになってしまいました。
私はこの義母と入院生活を含めて30年間家族として暮らしました。
この家に嫁いでからの義母との数々の思い出がよみがえります。
私は今の家の環境とはまったく違うところからきたのでなにより戸惑うことだらけ。
今になって思えば、わがままな私がよくやってこれたと思います。
いわゆる嫁姑との間では親子のようにはいかず苦しんだこともたくさんありました。
入院するまえは短期間でしたが下の世話もしたし、病気に家族中が振り回されました。
でもいまこうやって義母を見送りひと段落すると「もっとこうしてあげればよかった、
こんなこと言わなければ良かった」と大きな後悔がたくさん押し寄せます。
でもその時は自分はそれが精一杯だったのだと自分に言い聞かせ、誰でも後悔のない人は
いないのだと思うようにしています。
そうして人間はこうやって老いて人の世話になって死んでいくのだと教えてもらいました。
我が家に昔、嫁つぎ苦労をしたお姑さんがあって今の家族があるのだと感謝をこめて
供養をしてあげたいと思っています。
今は本家としての葬儀後の雑事にしばらくは追われるけれど
これは姑からバトンタッチされた私の役目とおもって頑張りたいと思っています。
コメント
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皆さんが元気で幸せでいることが一番のご供養になると思いますので、お忙しいことと思いますが、dorinさんもお体に気をつけて下さいね。
どこかでdorinさんのことを見守って下さっていると思います。
忙しさが落ち着いたころに、哀しみがやってくるとも聞きます。
さみしさはなくならないかもしれないですが
お心に平穏がおとずれますように。
老いて死んでいくのだなあと感じています。
だんだん自分に順番が廻ってくるのだと実感しています。
だからこそ毎日を大切に生きていかなければいけませんね。
お若いにゃさん、にはまだまだ死というものはピンと来ないと思います。
それでいいのです。私もそうでしたから。
やがて年をとるにしたがっていろんなことがわかって、自分の人生を
深く考えるようになるのです。
今は自分の人生を中心に考えて頑張ってくださいね。