「あ~、極楽、極楽」
この言葉、この頃とみに使うようになってしまった。
以前はなんて年寄り臭い言葉、こんなこと言うようになったら
もう私はおしまいだ・・
などとかなり鼻息荒かったのであるが・・・・
寒い夜、それも深夜お風呂に入る。
もう起きているのは私一人、家全体がしーんとしている。
今日一日毎度の如く忙しく、あちこち動き回り疲れ果て、
反省しきりの一日、それが何とか無事終わり、湯船に体を沈めた時・・・
出る言葉は「あ~、極楽、極楽」
お腹が空いて、昼食を食べそこね、やっと遅い食事にありついたとき。
猛暑の毎日、たいしたおかずでもないけれどささやかな夕食時、
冷たく冷えたビールをまず一口飲んだ時。
疲れた体を何とか引きずり風呂に入り、さて寝床にごろんと横になって
昔、親が言っていた「寝る程、楽はなかりけり」を実感した時。
お金を出してマッサージに行きその効果を実感した時。
「あ~、極楽、極楽」なんて素敵な言葉。
その一瞬、何とも言えず気持ちが良くて小さな幸せを感じればこそ出る言葉。
カッコ悪くも、年寄り臭くもないではないか。
これからはそう感じるたびに私はこの言葉を言い続ける。
今になってやっとわかった。
この言葉が多いほど幸せだということを。
2012年8月30日木曜日
2012年8月25日土曜日
ぬか漬け
ぬか漬けは自分で頑張って漬けているのであるが
今の季節はこまめにかき回さないといけないので大変だ。
本当は床下とか冷蔵庫の中の方がいいのだけれど
それは無理なので台所の作業台の上に置いてある。
糠床は生きているので「早くかき回してくれ」と言っているのが良くわかるのである。
そしてかき回してあげると「あー、一息ついた」と言っているように思う。
だから台所に行くたびにかき回せるので今のところは
無事この夏を乗り切れそうだ。
やっぱりスーパーで買ったものとは比べ物にならないくらい美味しい。
よく冷えたビールが合うので夕食はかならず食卓に上る。
そして朝食は温かいご飯とおみそ汁と一緒に頂く。
そして長く漬けておいて酸っぱくなったものは細かく切ってショウガなどと混ぜて
お醤油をかけると温かいごはんをおかわりしてしまうほどだ。
近所の無人販売で採りたて野菜を買ってくるので安いし新鮮だ。
ぬか漬けは発酵食品になるので体にとても良いのだそうである。
「糟糠の妻」などというむずかしい言葉もあるけれど意味はさておき
ぬか漬け臭いなどと人に言われてもこれだけは絶対に譲れない私のこだわりである。
2012年8月23日木曜日
眼科検診
「眼科検診は中高年になったら定期的に受けましょう」
という言葉は良く聞く。
今回はこれを身に染みて感じた次第。
以前から強度の近視のため飛蚊症があった。
ところがここ半年ほど飛蚊症が進んできたのであった。
つまり目の中に蚊だの糸くずだのが以前よりたくさん飛ぶようになったのであった。
「そうなったときは早めに眼科へ」とわかっていたのだが
なかなか眼科へ行かなかった。
先日仕事を休んでやっと眼科へ行ってきた。
いままでコンタクトレンズのお店に併設されている眼科で
お世話になっていたのだがなんとなく不安になって
地元では評判の眼科へ行ったのであった。
車では来てはいけませんと事前に受付の人に言われたので
猛暑の中バスを乗り継ぎフラフラになって眼科へ到着。
待合室はお年寄りでぎっしり。杖をついている人の多いことったら。
「今日は帰ろうかな?」などと一瞬思ったけれど
まあ仕方ないからじっと待っていた。
瞳孔を開ける薬を点眼して検査。
「今にも網膜が穴が開きそうなところがあります。」とドクターが言う。
「2週間後にもう一度検査してどうするか決めます」とのことだった。
私は無い知恵を絞って思いついたのは「網膜剥離?」
急に怖くなってきた。
とにかく2週間後また検査してどのような処置をするのか
あとはドクターにお任せである。
それにしても来月は一年に一度の大きなイベントが控えていて
病気なんかしていられないのに・・・・
でも検診をしたおかげで早めにわかったのであるから
良かったと思わなければいけない。
確かに眼科検診は受けましょう!というのは正解である。
という言葉は良く聞く。
今回はこれを身に染みて感じた次第。
以前から強度の近視のため飛蚊症があった。
ところがここ半年ほど飛蚊症が進んできたのであった。
つまり目の中に蚊だの糸くずだのが以前よりたくさん飛ぶようになったのであった。
「そうなったときは早めに眼科へ」とわかっていたのだが
なかなか眼科へ行かなかった。
先日仕事を休んでやっと眼科へ行ってきた。
いままでコンタクトレンズのお店に併設されている眼科で
お世話になっていたのだがなんとなく不安になって
地元では評判の眼科へ行ったのであった。
車では来てはいけませんと事前に受付の人に言われたので
猛暑の中バスを乗り継ぎフラフラになって眼科へ到着。
待合室はお年寄りでぎっしり。杖をついている人の多いことったら。
「今日は帰ろうかな?」などと一瞬思ったけれど
まあ仕方ないからじっと待っていた。
瞳孔を開ける薬を点眼して検査。
「今にも網膜が穴が開きそうなところがあります。」とドクターが言う。
「2週間後にもう一度検査してどうするか決めます」とのことだった。
私は無い知恵を絞って思いついたのは「網膜剥離?」
急に怖くなってきた。
とにかく2週間後また検査してどのような処置をするのか
あとはドクターにお任せである。
それにしても来月は一年に一度の大きなイベントが控えていて
病気なんかしていられないのに・・・・
でも検診をしたおかげで早めにわかったのであるから
良かったと思わなければいけない。
確かに眼科検診は受けましょう!というのは正解である。
2012年8月21日火曜日
また明日考えよう
誰でも落ち込んだり、嫌な思いをしたり、腹が立ったり
心配事があったりと生きていく上で何もない人はいないと思う。
その悩みを忘れろとか、考えないようにした方が良いとか、気にするなとか
人に言われてもそうそう簡単にはできない。
そんなことができるくらいならとっくにそうしているのである。
だからとりあえず私は「また明日考えよう」なのである。
今晩一晩はその悩みはちょっと横に置いておいて「もう寝よう」ということなのである。
もしかしたら一晩のうちに何か変化があるかもしれないし
これは夢かもしれないし、
朝、目が覚めたら「ばかばかしい」と考えが変わるかもしれないし
ほんの少し時間を置くことで変化を期待する作戦なのだ。
結局次の朝、昨日と変わらなくてもいいのだ。
そうしたらまたその日の夜になったら
「また明日考えよう」でいいのだ。
そうこうしているうちに時間は過ぎ去り
日にち薬が効いてきてその悩みの苦しさから少しづつ解放されてくるのである。
「風と共に去りぬ」の映画の中でスカーレットオハラが
悲しみにくれ泣きながら「また明日考えよう・・・」という場面がある。
これが私のそう思う原点なのである。
心配事があったりと生きていく上で何もない人はいないと思う。
その悩みを忘れろとか、考えないようにした方が良いとか、気にするなとか
人に言われてもそうそう簡単にはできない。
そんなことができるくらいならとっくにそうしているのである。
だからとりあえず私は「また明日考えよう」なのである。
今晩一晩はその悩みはちょっと横に置いておいて「もう寝よう」ということなのである。
もしかしたら一晩のうちに何か変化があるかもしれないし
これは夢かもしれないし、
朝、目が覚めたら「ばかばかしい」と考えが変わるかもしれないし
ほんの少し時間を置くことで変化を期待する作戦なのだ。
結局次の朝、昨日と変わらなくてもいいのだ。
そうしたらまたその日の夜になったら
「また明日考えよう」でいいのだ。
そうこうしているうちに時間は過ぎ去り
日にち薬が効いてきてその悩みの苦しさから少しづつ解放されてくるのである。
「風と共に去りぬ」の映画の中でスカーレットオハラが
悲しみにくれ泣きながら「また明日考えよう・・・」という場面がある。
これが私のそう思う原点なのである。
2012年8月19日日曜日
今夜はパラダイス!
今夜の私の夕食です。
何のことはない、すべて残り物、ありあわせです。
モズクも冷奴も冷蔵庫にあったものをただ器に盛ってショウガをすっただけ。
野菜は冷蔵庫の残り物、シラスをフライパンで炒って野菜にかけてドレッシングをかける。
豚肉はカレー味をつけて焼いただけ。
あとは冷えたビール。
こんな簡単な食事でも充分幸せを感じます。
テレビのニュースで尖閣問題、竹島問題をやっている。
それを「うーーむ」などと言いながら一人だけの夕食。
そうです今夜はパラダイス!
主人が山に行っているので私一人の夕食だからです。
いつもなら食べた気がしないほど動き回らなければならないけど
今夜はのんびりゆったり♫、あ~極楽極楽。
もっとどこかへ出かけるとか映画を見に行くとか考えればありそうだけど
結局昼間はいつもと変わらない一日であった。
一人でのんびりできるなら何もどこかに出かけなくったって我が家で充分。
なんて安上がりなパラダイス。
さあ食事も終わったし寝るまであとは何をしようか・・・・
2012年8月18日土曜日
村祭り
我が家の前に神社がある。地元では 天王様と呼ばれていて歴史も古い。
今日はその神社の村祭りの日であった。
夕方帰宅したら日も暮れ始め神社のお祭りが始まった。
昔はテキヤさんが露店などを出していたが今はすべて
町会で模擬店、お楽しみ抽選会をしてやぐらでは婦人会の盆踊りがはじまった。
私は御祝儀を受付に渡ししばらく村祭りの様子を見ていた。
幼い子供を抱いている母親をよく見たらうちの娘の同級生だった。
消防団に入団してお祭りの警備にあたっていた青年は昔近所の悪ガキだった。
我が子をお祭りに連れていったのはつい数年前だった気がするけれど
あっという間に月日は何十年も流れていたのであった。
そうか村祭りって普段は会うこともない人たちに会うことができるのだ。
そして声をかけてみたり、近況を伝えあったり、、、
田舎のお祭りってなかなかいいものだ。
太鼓の音、盆踊りの音楽にのって人々のざわめきが楽しそうに聞こえてくる。
町会からもらった福引券を引いてジュースをもらい、
焼きそば券を交換して、〇〇町会と書かれたタオルとうちわ、
神社のお札を頂き、地元の交通安全の役員さんたちが誘導してくれた道路を
渡り自宅に戻った。
地元の暖かさを感じ、いつまでもこの町が変わらずにいてくれたらいいなと思う。
来年は孫たちに来てもらってヨーヨーつりなど一緒にしたいなあ。
2012年8月9日木曜日
いよいよボケてきた?
今朝冷蔵庫を開けたら上から2段目のところに
お皿が2枚きちんと重ねてしまってあった。
しばらく声が出ず「皿を冷やしてどうする・・・・」と一人つぶやいた。
昨日の夕食でこのお皿をテーブルに出したのであるが
使わなかったのでしまったつもりであった。
しまったのはいいが食器戸棚ではなく冷蔵庫にしまったのであった。
なぜその時しまいかけて「あっ、ちがった」と思わないのか。
気が付かない自分が空恐ろしくなった。
ということは職場でもこんなことを無意識にやっているに違いない。
以前知人が急須が冷蔵庫に入っていた、という話をして
大笑いをしたがこれは他人事ではない。
信じられないことが自分に起こってくるようになったのだ。
でもまだ冷蔵庫に皿をしまってしまった、ということがわかるからいいのかな?
うちのバアサン、いろんなところに食べ物をしまいこんで・・・
などと言われたらもうこれは病気である。
「今回のことはただの老化ならいいけれど・・・・」
とかなり落ち込んだ出来事でした。
お皿が2枚きちんと重ねてしまってあった。
しばらく声が出ず「皿を冷やしてどうする・・・・」と一人つぶやいた。
昨日の夕食でこのお皿をテーブルに出したのであるが
使わなかったのでしまったつもりであった。
しまったのはいいが食器戸棚ではなく冷蔵庫にしまったのであった。
なぜその時しまいかけて「あっ、ちがった」と思わないのか。
気が付かない自分が空恐ろしくなった。
ということは職場でもこんなことを無意識にやっているに違いない。
以前知人が急須が冷蔵庫に入っていた、という話をして
大笑いをしたがこれは他人事ではない。
信じられないことが自分に起こってくるようになったのだ。
でもまだ冷蔵庫に皿をしまってしまった、ということがわかるからいいのかな?
うちのバアサン、いろんなところに食べ物をしまいこんで・・・
などと言われたらもうこれは病気である。
「今回のことはただの老化ならいいけれど・・・・」
とかなり落ち込んだ出来事でした。
2012年8月7日火曜日
歯医者
私は歯医者に行くことが大嫌いです!
だからちょっと歯が痛かったりすればすぐに予約を入れるし
なにより検診のハガキが来たらさっそく予約を入れる。
歯医者が大嫌いなのになんでそのみごとな迅速な行動力?
と、感心すると思うが・・・・
考えても見てください。
歯の治療は拷門に等しいと思っているのです。
キューンという拷問道具で口の中の歯を削られるのです。
逃げたくたって「まな板の鯉」状態です。
歯を削るときのあの神経に近づく時の痛みというか感触。
思い出すだけで冷や汗をかいて気分が悪くなります。
自分の両手はまるでイエスキリスト様にお祈りをささげるみたいに
しっかりお腹の上で組んで(別に信仰心などないのに)、
心の中では「神様どうか痛くありませんように」と、その時だけの神頼み。
額は汗びっしょり、肩は力が入って耳元まで持ち上がっているし、
足のつま先はピンと伸びて親指はずっと先を差している。
目は片目だけ開いて先生をにらんでいるし、掌の中は汗でじっとり・・
だからもう二度とそんな思いをしたくないので
嫌でも大嫌いでもとっとと歯医者へ行くのです。
この気持ちわかってもらえるでしょうか。
ようは先手を打つということです。
いまは8020運動というのがあるそうです。
80歳になっても20本の歯を残そうということです。
私はこれを目標にしています。
ですからこれからも歯医者だけは「とっとと行く」という
信念をもっていくつもりなのです。
歯の治療、後回しにしておくと痛いし、お金はかかるし、時間もかかるし
いいことはありませんよ!。
だからちょっと歯が痛かったりすればすぐに予約を入れるし
なにより検診のハガキが来たらさっそく予約を入れる。
歯医者が大嫌いなのになんでそのみごとな迅速な行動力?
と、感心すると思うが・・・・
考えても見てください。
歯の治療は拷門に等しいと思っているのです。
キューンという拷問道具で口の中の歯を削られるのです。
逃げたくたって「まな板の鯉」状態です。
歯を削るときのあの神経に近づく時の痛みというか感触。
思い出すだけで冷や汗をかいて気分が悪くなります。
自分の両手はまるでイエスキリスト様にお祈りをささげるみたいに
しっかりお腹の上で組んで(別に信仰心などないのに)、
心の中では「神様どうか痛くありませんように」と、その時だけの神頼み。
額は汗びっしょり、肩は力が入って耳元まで持ち上がっているし、
足のつま先はピンと伸びて親指はずっと先を差している。
目は片目だけ開いて先生をにらんでいるし、掌の中は汗でじっとり・・
だからもう二度とそんな思いをしたくないので
嫌でも大嫌いでもとっとと歯医者へ行くのです。
この気持ちわかってもらえるでしょうか。
ようは先手を打つということです。
いまは8020運動というのがあるそうです。
80歳になっても20本の歯を残そうということです。
私はこれを目標にしています。
ですからこれからも歯医者だけは「とっとと行く」という
信念をもっていくつもりなのです。
歯の治療、後回しにしておくと痛いし、お金はかかるし、時間もかかるし
いいことはありませんよ!。
2012年8月6日月曜日
広島原爆の日
今日8月6日、67回目の広島原爆の日がやってきました。
巷ではロンドンオリンピックが放映されてそれに一喜一憂しながらも
やはりこの日を重く受け止めなければならないと思っています。
新聞の一覧にもオリンピックが大きく報道されてどちらかというと
原爆の日のことは隅っこにあるような気がします。
私は戦争を知らない世代ですが親からは幾度も戦争体験を聞かされて
育ってきました。
しかし若い頃はその親の話が始まるたびに「また戦争の話・・・」と
ちょっとうんざりしたものです。
親も聞く耳を持たない娘に「経験したことのないものに話してみたって
わからないね」とさみしそうに悔しそうに言っていました。
今ある平和の有り難さも、戦争で犠牲になった方々、兵隊さんとして
戦地に赴いた方々の気持ちなどわからないまま
今ある自由で平和な毎日を当たり前のように謳歌して若い頃を過ごしてしまいました。
やっと自分が子供を持ち親になってみて
平和の有り難さがわかるようになりました。
悲惨な戦争の写真や本を見るたび胸が押しつぶされそうになりました。
我が子の未来、日本中の子供たちの未来が戦争のない世の中であってほしいと
切に願いました。
間もなく9日は長崎の原爆の日、そして15日は終戦の日。
8月は戦争について深く考えさせられる月なのです。
今でも世界中のどこかで戦争をしている現実。
人間はどうして戦争をするのでしょうか?
そして私の父の命日も8月15日。
この日は実家に行きお墓参りをして、年老いたけれど
まだかくしゃくとした母と昔の戦争時代の話など
聞いてあげようと思っています。
そのような話を真摯に聞くことが今の自分たちのつとめだと
思っているのです。
巷ではロンドンオリンピックが放映されてそれに一喜一憂しながらも
やはりこの日を重く受け止めなければならないと思っています。
新聞の一覧にもオリンピックが大きく報道されてどちらかというと
原爆の日のことは隅っこにあるような気がします。
私は戦争を知らない世代ですが親からは幾度も戦争体験を聞かされて
育ってきました。
しかし若い頃はその親の話が始まるたびに「また戦争の話・・・」と
ちょっとうんざりしたものです。
親も聞く耳を持たない娘に「経験したことのないものに話してみたって
わからないね」とさみしそうに悔しそうに言っていました。
今ある平和の有り難さも、戦争で犠牲になった方々、兵隊さんとして
戦地に赴いた方々の気持ちなどわからないまま
今ある自由で平和な毎日を当たり前のように謳歌して若い頃を過ごしてしまいました。
やっと自分が子供を持ち親になってみて
平和の有り難さがわかるようになりました。
悲惨な戦争の写真や本を見るたび胸が押しつぶされそうになりました。
我が子の未来、日本中の子供たちの未来が戦争のない世の中であってほしいと
切に願いました。
間もなく9日は長崎の原爆の日、そして15日は終戦の日。
8月は戦争について深く考えさせられる月なのです。
今でも世界中のどこかで戦争をしている現実。
人間はどうして戦争をするのでしょうか?
そして私の父の命日も8月15日。
この日は実家に行きお墓参りをして、年老いたけれど
まだかくしゃくとした母と昔の戦争時代の話など
聞いてあげようと思っています。
そのような話を真摯に聞くことが今の自分たちのつとめだと
思っているのです。
2012年8月4日土曜日
従兄弟
おととい長女の家に遊びに行きました。
6月に生まれた男の孫はしっかり大きくなって
目も見えるみたいです。
寝ている様はガマガエルがひっくり返ったみたいです。
次女とその孫も遊びに来ました。7ヶ月の孫は赤ん坊に興味があるらしく
ハイハイしながら近寄ってきます。
顔をペタンペタンたたいていました。
下の子供は強いわけです。
上の子供にたたかれたり踏んづけられたり
騒がしい中で育つのですからたくましいのです。
やがて保育園に通っていた2歳の女の孫が帰ってきました。
すぐさまこの弟のところへ行きなでたり頬ずりしたり、、、
子供は子供に興味があるのですね。
この写真の子供達はいとこ同士になるのですから
良い幼友達になってほしいと思っています。
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