今日は私のお誕生日であった。
母からお誕生日おめでとうと電話があった。
自分を生んでくれた母親からおめでとうと言われるのは恥ずかしいような
しかしとても嬉しく、そしていつまで言ってもらえるかと、少し気にかかる。
主人はとうとう私の誕生日に気が付きもしなかった。
なんちゅうこと!まっ、そんなことはどうでもいいのだけれど。
私が元気に過ごせるのも親が健康な体に生んでくれたおかげである。
私の父は57歳で亡くなった。
その時の私は30歳で、50才代の人生はそう短くはないのだと思っていた。
しかしいま自分が父の亡くなった年齢にまもなく近づくと思うと50歳代というのは
なんて若いのだろう。
まだまだ体力も衰えたとはいえなんとかなるし、感性だってまだまだ瑞々しいような気がする。
そう思うと父はまだまだ死ぬには早すぎたのだと今になって思うのである。
子供というのは親の亡くなった年齢というのはどこが気になるものである。
高齢でもまだまだ元気な親や老衰で長寿を全うした親は別だが、
老人といわれる前に人生を終わった親の亡くなった年齢というのは
子供のどこか頭の隅っこにしっかりしがみついて離れない。
ことあることにその年齢がいろいろな意味で気にかかるのである。
以前は父親の亡くなった年齢までは生きられるような気がして
それが一つの自己暗示のように安心感があったのだが
だんだんその年齢に近づくにつれ
今度はそれを超えられるのであろうかと急に不安になってくるのである。
無意識のうちにその年齢を意識しているのである。
来年私は父の年齢になる。
元気に超えたら今度は今もマシンガントーク絶頂の80歳の母親を
目標に頑張ろうと思っている。
いくつになっても親のことは忘れているようで実は気にかかる。
親というのはまったくありがたい存在である。
その親から今日この世に生みだしてもらったことを
心から感謝したいと思う。
dorinさん、お誕生日おめでとうございます♪♪☆☆♡♥
お誕生日は、年をとっても嬉しいですね〜!
この世に生まれた日ですものね。
今迄、どんな人生を歩まれたのかしら?
ご主人と出会って楽しいダイビングも一緒に出来た思い出も・・・
これからもお母様の様に元気でお過ごし下さいね〜♪