過ぎたるは及ばざるが如し
これは何の鉢植えだかわかりますか?
実はこれは朝顔です。
ホウレンソウみたいでしょう?
青々として元気良さそうです。
しかしこの朝顔はいつまでたってもこのままです。
ツルが伸びてきません。
ただただ葉っぱのみが繁っているだけです。
今日は伸びてくるかと毎日楽しみに待っていましたがもうこの朝顔はこのままで終わりです。
お隣のおじいちゃんは一昨年亡くなりましたが、毎年朝顔を大きく咲かせるのが上手でした。
その大事な形見ともいえる朝顔の種を譲り受けました。
俄然、主人は張り切りました。
「あのおじいちゃんの種だ。よーし見事に花を咲かせるぞーーー!」
と、鼻息荒く、竹を切り裂いてツルを巻き付ける支柱を作り、肥料をたっぷりと、
そして毎朝水やりをかかさず・・・
その心意気はなんともすばらしかった。
私はいつもこういう鼻息荒く始めたものはだいたい途中で頓挫することは長年の経験でわかっている。
しかし、「そうねー、花が咲くのが楽しみね。」
などと口先だけは上手いことを言ったのだった。
しかし待てど暮らせどこの状態。
私の感は当たったのである。
つまり主人は肥料を大量に、与えてしまったのである。
栄養過多、飽和状態、・・・
かわいそうにおじいちゃんの形見の朝顔は子孫を残すことなく終わる予定である。
自分でも栄養のやりすぎだと大いに反省をしていたが、そこですかさず私が
「それごらんなさい。物には何だって適量と言うものがあるのよ!」などと言おうものなら
またけんかになってしまうので黙っていた。
「残念ね。仕方ないわね。」といいながら心の中では「やっぱりねー」と思ったのである。
孔子の格言に「過ぎたるは及ばざるが如し」というのがあるが、
まさにそのとおりだと思った。
物事には程度というものがあり、その程度を過ぎるとむしろ不足気味や不満足な状態と同じである。
私はこの格言を知ってはいたがこの意味を今回初めて理解した。
まあ肥料のやりすぎが結果、故事のお勉強になったのだから、
このようなことをまた故事で言うのならなんというのであろうか?
まあしかし、一生懸命良い花を咲かせてあげようと思ったその気持ちは
酌んであげなければいけないのである 。
実はこれは朝顔です。
ホウレンソウみたいでしょう?
青々として元気良さそうです。
しかしこの朝顔はいつまでたってもこのままです。
ツルが伸びてきません。
ただただ葉っぱのみが繁っているだけです。
今日は伸びてくるかと毎日楽しみに待っていましたがもうこの朝顔はこのままで終わりです。
お隣のおじいちゃんは一昨年亡くなりましたが、毎年朝顔を大きく咲かせるのが上手でした。
その大事な形見ともいえる朝顔の種を譲り受けました。
俄然、主人は張り切りました。
「あのおじいちゃんの種だ。よーし見事に花を咲かせるぞーーー!」
と、鼻息荒く、竹を切り裂いてツルを巻き付ける支柱を作り、肥料をたっぷりと、
そして毎朝水やりをかかさず・・・
その心意気はなんともすばらしかった。
私はいつもこういう鼻息荒く始めたものはだいたい途中で頓挫することは長年の経験でわかっている。
しかし、「そうねー、花が咲くのが楽しみね。」
などと口先だけは上手いことを言ったのだった。
しかし待てど暮らせどこの状態。
私の感は当たったのである。
つまり主人は肥料を大量に、与えてしまったのである。
栄養過多、飽和状態、・・・
かわいそうにおじいちゃんの形見の朝顔は子孫を残すことなく終わる予定である。
自分でも栄養のやりすぎだと大いに反省をしていたが、そこですかさず私が
「それごらんなさい。物には何だって適量と言うものがあるのよ!」などと言おうものなら
またけんかになってしまうので黙っていた。
「残念ね。仕方ないわね。」といいながら心の中では「やっぱりねー」と思ったのである。
孔子の格言に「過ぎたるは及ばざるが如し」というのがあるが、
まさにそのとおりだと思った。
物事には程度というものがあり、その程度を過ぎるとむしろ不足気味や不満足な状態と同じである。
私はこの格言を知ってはいたがこの意味を今回初めて理解した。
まあ肥料のやりすぎが結果、故事のお勉強になったのだから、
このようなことをまた故事で言うのならなんというのであろうか?
まあしかし、一生懸命良い花を咲かせてあげようと思ったその気持ちは
酌んであげなければいけないのである 。
コメント
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私の失敗談。アサリを買って、砂抜きをしましたが、塩を目分量で多く入れすぎたようです。普通は、殻をあけて水管を突き出して砂を吐くのですが、その時は何の変化もなく、バター焼きで食べると塩っ辛くて往生しました。次の機会に水200ccで塩6g(3%)でやるとうまくいきました。「塩梅(あんばい)」とはこういうことをいうのですね。
普段お料理などはいちいち計量などせずに長年の感でやってしまいます。
しかし慣れないものは横着せずちゃんと計ってからでないと失敗します。
まさに梅干作りがその際たるものです。塩梅ですね!
人間の子育て、教育と似た所がありますね。子供は贅沢にしたり、甘やかしてもいけないし、そうかと言って、厳し過ぎてもいけない。ほどほどということが大事なのですが、これがなかなか人間にとって難しいですね。
しかし、野菜作りは、子育てと違って、失敗しても毎年やり直せるから気は楽で、いいですね。
我が家の主人はこの前玉ねぎを収穫しましたが、
肥料が多すぎると中心にトウが立ってしまって茎の部分が
太く固くなってしまうのです。そしてあまり大きくなりません。
もちろん食べるには差し支えありませんが見栄えはいま一つ。
これを「男たまねぎ」と言います。