身の回りはシンプルに
義母の49日の法要も無事終わり香典返しも完了した。
しかしホットするまもなく母屋の整理をしている。
なにしろ義母が13年前に入院してから母屋はまったくの手付かずだったのである。
13年も時間があってもやはり入院中は勝手に処分もできずほこりだけが積もっていった。
この前は人形供養があるとのことで大量の人形を供養に出したのであるが、
そのガラスケースから始まり母屋の家財道具、布団、その他もろもろを処分し始めた。
大きなタンス類は主人が婿さんに来てもらい我が家の軽トラックで市の処分場へ出してきた。
もちろん有料である。
山ほどのふとんも積んで行ったので業者と間違われ叱られてしまったそうだ。
まあ見た感じが一般市民には見えなかったのであろう。
大きな家具以外は結局私が処分するしかないのである。
今はゴミは勝手には捨てられないので自治体のやり方にそって処分するしかない。
ゴミの処分はお金がかかるのである。
本棚、机、整理タンスから始まりテレビの台、鏡台、食卓のテーブル、キャビネット、
椅子、大量の座布団、お節句の兜とよろい、置物、電化製品etc・・を
たった一人で軽トラックの荷台に積み込み、積めないものは助手席に置き、
ロープを張って自分で軽トラを運転して処分場に持って行った。
それも2回も。
処分場の職員の男性に下ろすのはやってもらったけど。
もう私はこの年齢でしかも一応女性で、「本当によくやったなあ 」
と誰も誉めてくれないから自分で自分を誉めたのだった。
次に衣類。
これは義父の分も大量にあり古着回収の曜日に出したが大きなビニール袋に約30袋。
町会の班のゴミ置き場に前日から一輪車で運んだ。
このときも自分で自分を誉めたのだった。
今日は母屋の台所の道具の処分をした。
山のような量。
そして13年前の贈答品の素麺、醤油、砂糖、昆布・・・・
とんでもなく恐ろしいことになっていた。
シンクの下からは鍋から包丁から~。
きょうは食器以外はすべて処分用の袋に入れ今度の収集の日に出せるようとりあえず完了。
当然今日の自分の働きにまた自分を誉めたのだった。
わたしは片づけをしながらつくづく思った。
だんだん年をとってきたら要らないものは早めに処分し、
物は増やさないようにして、もし自分が死んだら家族が物の処分に
大変な思いをしないように心がけていかなければいけないと。
自分にとってどんなに大切なものでも家族がそれを自分と同じようには感じてくれないだろう。
「私の大事なマンドリンとマンドラは私が死んだらどうする?」と聞いたら
娘はすかさず「ヤフーオークションに出すから心配しないで~」だって。
そんなもんだろう。
だからマンドリンの80年以上も前のオールドが高値が付いて市場に出回るのも
そういうことだろう。
そうしてまたそれを必要とする人が手に入れるのだ。そしてまたいつかは。・・・・
結局自分が生きている間が自分の所有しているものは価値があるのだ。
だから身の回りはシンプルにこれからは生きていこう。
死ぬ時何一つ持っては行けないのだから・・・
しかしホットするまもなく母屋の整理をしている。
なにしろ義母が13年前に入院してから母屋はまったくの手付かずだったのである。
13年も時間があってもやはり入院中は勝手に処分もできずほこりだけが積もっていった。
この前は人形供養があるとのことで大量の人形を供養に出したのであるが、
そのガラスケースから始まり母屋の家財道具、布団、その他もろもろを処分し始めた。
大きなタンス類は主人が婿さんに来てもらい我が家の軽トラックで市の処分場へ出してきた。
もちろん有料である。
山ほどのふとんも積んで行ったので業者と間違われ叱られてしまったそうだ。
まあ見た感じが一般市民には見えなかったのであろう。
大きな家具以外は結局私が処分するしかないのである。
今はゴミは勝手には捨てられないので自治体のやり方にそって処分するしかない。
ゴミの処分はお金がかかるのである。
本棚、机、整理タンスから始まりテレビの台、鏡台、食卓のテーブル、キャビネット、
椅子、大量の座布団、お節句の兜とよろい、置物、電化製品etc・・を
たった一人で軽トラックの荷台に積み込み、積めないものは助手席に置き、
ロープを張って自分で軽トラを運転して処分場に持って行った。
それも2回も。
処分場の職員の男性に下ろすのはやってもらったけど。
もう私はこの年齢でしかも一応女性で、「本当によくやったなあ 」
と誰も誉めてくれないから自分で自分を誉めたのだった。
次に衣類。
これは義父の分も大量にあり古着回収の曜日に出したが大きなビニール袋に約30袋。
町会の班のゴミ置き場に前日から一輪車で運んだ。
このときも自分で自分を誉めたのだった。
今日は母屋の台所の道具の処分をした。
山のような量。
そして13年前の贈答品の素麺、醤油、砂糖、昆布・・・・
とんでもなく恐ろしいことになっていた。
シンクの下からは鍋から包丁から~。
きょうは食器以外はすべて処分用の袋に入れ今度の収集の日に出せるようとりあえず完了。
当然今日の自分の働きにまた自分を誉めたのだった。
わたしは片づけをしながらつくづく思った。
だんだん年をとってきたら要らないものは早めに処分し、
物は増やさないようにして、もし自分が死んだら家族が物の処分に
大変な思いをしないように心がけていかなければいけないと。
自分にとってどんなに大切なものでも家族がそれを自分と同じようには感じてくれないだろう。
「私の大事なマンドリンとマンドラは私が死んだらどうする?」と聞いたら
娘はすかさず「ヤフーオークションに出すから心配しないで~」だって。
そんなもんだろう。
だからマンドリンの80年以上も前のオールドが高値が付いて市場に出回るのも
そういうことだろう。
そうしてまたそれを必要とする人が手に入れるのだ。そしてまたいつかは。・・・・
結局自分が生きている間が自分の所有しているものは価値があるのだ。
だから身の回りはシンプルにこれからは生きていこう。
死ぬ時何一つ持っては行けないのだから・・・
コメント
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当然処分の量が違いますよね。
それこそ30年~40年に一度の大処分市なのですね。
そこに私が運良く、というか悪くと言うか当たってしまった。
大きな処分と言うのは精神的にも捨てるか捨てないか悩んだりして、
肉体的にもたいへんで、やはり高齢になったら無理ですねーー。
dorinさん、お疲れさまでした。大変でしたね・・物を捨てるというのは心身ともに大変な重労働です。私達も蓼科に引っ越しをする時、何度も市の処分場・ブックオフなどに通いました。
「歳を取ったら不要なものは早めに処分」=全く同感です。
母が亡くなった時、母が住んでいた兄の家に姉妹3人で後片付けに行きました。男である兄にとって母のものは使いようもなく、見もしないですべて処分するというのです。姉2人と形見となるようなものを分け、残りを処分してもらうよう頼んできました。その時つくづく思いました。私が死んだら、夫や息子たちは処分に困るだろうと・・・。それから私はどんどん捨てるようになりました。私は2~3年に一度転勤で引っ越しをしていたのに物は増えて行ってたんですね~
自分の先のことを考えて処分していく・・・という年齢に
なってしまったのですね。若い頃は考えもしなかったのですが。
今ではちょっと頑張れば翌日は腰や腕が痛くなったりで無理はできませんね。
母屋がすべてきれいになったら、
今度は順次自分の物を片付けていかないと・・・
でも思い切りよく捨てられるかな?です。