2016年12月27日火曜日

クリスマスの日にさようなら

12月25日未明義兄がスキルス性胃がんのため亡くなりました。
10月に腰が痛いといって病院へ行ったときにはもう骨にまで転移していて
抗がん剤の治療がはじまりました。
けれど副作用がとてもつらくて苦しかったそうです。
誰にも会いたくないと云っていてお見舞いにも行けませんでした。

前日の夜もう年内持たないとの連絡があり急いで病院に駆けつけました。
意識はなくモルヒネの作用かもうろうとしながらも苦しんでおりました。
私が声をかけると一瞬返事をするような反応を見せてくれました。
検診はまめに受けあんなに体力も運動神経も抜群で体も鍛えていた人が
どうしてこんな病気になってしまったのか・・・・
医学が進んでがんになっても治療をして普段の生活に
戻れる人がたくさんいるというのに。

病院を出ると街はクリスマスイブで賑わい
イルミネーションが溢れている道を走りながら
たぶん会えるのは今日が最後だろうと思いました。
悲しく悔しく涙がこぼれました。
道行く人は皆幸せそうに見え平和な日本のクリスマスイブを
楽しんでいるように見えました。

明け方私はふと目が覚め義兄がいま亡くなったような
不思議な感覚がありました。
やはりその時間帯に義兄は亡くなりました。

クリスマスの日にさようならなんて悲しすぎます。
65歳なんて若すぎる。
もっともっと生きていてほしかったです。

2016年12月23日金曜日

4畳半ソング

昨日新聞に「ヤマハリゾートつま恋」の営業が終了する記事が出ていました。
昭和50年代頃この場所でフォークコンサートや新人のポピュラーコンテスト
いわゆるポプコンが行われていました。
「音楽の聖地」と言われていました。
私のような世代の者にとっては懐かしい青春の思い出と結びつきます。

「神田川」、「赤ちょうちん」、「22才の別れ」、「なごり雪」
何もかもが懐かしい・・・
4畳半ソングなどと言われたりもしたけれど
いい歌だった。
あの頃の自分を思い出す・・・・
時は流れて変わっていくのだなあ・・・
しばし感傷・・・・


2016年12月18日日曜日

みどりさん

昨日小学一年生の孫と話しをしていた時のこと。

〇〇ちゃんのお母さんはママで
ママのお母さんはおばあちゃんで
おばあちゃんのお母さんは中野のひいばあちゃんで
ひいばあちゃんのお母さんは・・・とまでいったら
「みどりさん!」と答えが返ってきました。
以前私が同じようなことを話したことを
覚えていたのです。

みどりさんは私の母方の祖母です。
私が生まれる前に亡くなっているので私はみどりさんを知りませんが
写真や母からどんな人だったか聞いているのでイメージはあります。
ということは私の孫はみどりさんからみると玄孫(やしゃご)です。
玄孫に名前をおぼえてもらっているとはみどりさん、うれしいのでは・・・
だって私は自分の高祖母の名前なんて全く知りません。
みどりさんのおばあさんにあたる人から私を見たら
私は玄孫ですから。

みどりさんから延々とつづく命、
いやもっともっと前から。
誰一人欠けても今の孫は存在しない。
そんな当たり前だけれどとっても大事な事実。
今ある自分はその脈絡の中で生かされていると気づくには
この孫はまだ何十年もかかるでしょう。
あと50年以上先に
私も玄孫から「〇〇さん」と言われたらうれしいだろうな。
残念だけどもうこの世には絶対いないけれど。


2016年12月11日日曜日

同期

同期という言葉、同級生という言葉とは違って
社会人になったとき同じ会社でスタートラインに立った時の仲間です。
もうこの年になると同期という仲間を今から作ることはまずないでしょう。
だから同期という懐かしい人たちにもし数十年ぶりに会えたとしたら・・・・

昨日は私が所属しているマンドリンクラブの定期演奏会でした。
偶然にも昔私が勤務していた銀行に今も勤めている部員がいます。
その部員の同僚が私の同期だった女性でした。
それがわかったのもちょっとしたきっかけだったのですが。
そしてその女性が定期演奏会に来てくれることになったのです。

40年近くも月日が過ぎ去りお互い変わってしまっているだろうから
わかるかな、などと心配していたのですが・・・
彼女は昔とちっとも変っていませんでした。
お互いの第一声が〇〇ちゃん!でした。
不思議なものですね。
すぐに相手の呼び名が出てくるのですから。
学校を卒業して初めて新人として入行して同じ課で
一緒だった人です。
同期はたくさんいましたがなぜか彼女のことはよく覚えていました。
同期同士でよく食事をしたり出かけたこともたくさんありました。
私にとって今会うことができたただ一人の人でした。
ほかの人達は今どこで何をしているのでしょうか。

彼女は独身で定年を迎え今は再雇用で続けているとのことでした。
また来年演奏会に来るからと約束して別れました。
数十年ぶりにたった10分ほど会えた人。
彼女は私の大切な同期です。






2016年12月8日木曜日

銀ブラ

今日、銀座の画廊へ絵画の個展を見に行ってきました。
同じマンドリンクラブにいる女性から案内ハガキをいただいたので
興味津々で出かけました。
まさかこんな幻想的な絵を描く人とは知らず驚きの連続でした。
才能ある人が身近にいるものですね。

東京駅から丸の内オフィス街をのんびり歩きました。
独身時代勤めていた銀行の前を通ってびっくり、
なんとそのビルが解体中でした。
何とも言えない寂しさを感じました。
銀行も合併してしまい、ましてや当時軍艦ビルなどとも言われた
独特な威容を誇ったビルでしたが・・・・・・
時とともにだんだんと変わっていくのですね。
オフィス街もいまはすっかりおしゃれになって
ちょっとした外国の街並みのようです。

有楽町まで歩きやがて銀座でお昼をとることにしました。
私は銀座というと「てんぷら」とどういうわけかつながってしまうのです。
ちょっとしたお店で天丼を食べてから画廊へ向かいました。
昔、仕事が終わると銀座へよく寄り道したことを思い出します。
だから銀座は懐かしい街です。
いまも変わったとはいえ昔の雰囲気が感じられます。

今日は若かったころの自分を思い出しながら
ビルの谷間にのぞく青空を見上げ色づいた銀杏並木を歩き
絵画を鑑賞して東京駅の素晴らしさを再確認した
有意義な一日となりました。




2016年12月7日水曜日

私を忘れないで

海馬さん、私を忘れないでください。
若かった頃の思い出を。
青春の蹉跌を、楽しかった時間を、恥ずかしかったことを、
後悔したことを、頑張った私を、悔しかったことを、悲しかったことを
泣いてしまったあの日を、大事な選択をしたときのことを、
何よりうれしかった時のことを・・・

海馬さん、たくさんの思い出が詰まった私を忘れないでください。
海馬さんは私の頭の中にいます。
私の一部でありながら違う人のような気もします。
あなたが私を忘れていくのはとてもこわいです。

もう7、8年も前、脳ドックを受けた時
医者から奥様の脳はなんて若々しい、
海馬は記憶をつかさどるところですが
若い人なみです。とかなんとかいわれてすっかり気を良くしたものだった。

その数年後の脳ドックの結果は「年相応ですね」といわれた。
数年経ただけで海馬さんは年をとってきたということなのだろう。
だんだんと私の記憶も忘れ去られていくということなのかしら。
もっとおばあさんになっても自分の生きてきた記憶はなくしたくないと思うのです。
海馬さん、大変でしょうが何とか頑張ってください。
私もがんばりますから・・・・