古い我が家の母屋。
年明けには取り壊す予定なので今は母屋のあらゆるものを
片付けている。
座敷わらしが出てきそうである。
押入れの奥から続々と出てくるものは特に戦争に関するものが多い。
太平洋戦争では我が家では4人の人たちが戦地へ赴き亡くなったそうである。
たった一人生き残った主人の父が大切に自分の兄たちの形見として
保管しておいたものだ。
これはやはり処分することはできないのでまた仕舞っておくことにした。
けれどこれらがいつの日かまた誰かに見てもらえる日がくるのであろうか?
ボロボロの日章旗。
戦闘機乗りだったと聞いたけれど・・・

攻撃場所が書いてある。中国の地名であろうか?

そしてこれは国からの遺族への年金なのか、利札がついている。
右から左に読むと支那事変行賞とある。支那事変に関係した賜金ということなのだろう。
利札がついたままなのでお金を受け取らなかったのか??

この遺族国庫債券は戦死した者の遺族に支払われたものらしい。

これは位が上がったことを意味するのであろうか?
そうであったとしてもこれをもらった親の気持ちはいかばかりか・・・

そしてこれは戦後に出された村の戦没者名簿
我が家も4人の名前が載っている。
戦死した場所なども明記されている。
この冊子に記載されている人たちを思うと涙が止まらない。

まだまだ我が家にはこのような遺品がたくさんある。
これを見るとき、骨ひとかけらさえも戻らず、遺品として戻ってきた親の嘆きは
いかばかりであったろうか・・・
私たちの今の平和な日本の礎になった方たちに
しばし思いを馳せたいと思うのである。
そんなに昔の事ではないのに、今はその当時の事など忘れ去られていますよね。
戦争当時を生きた人達は、毎日がドキドキで悲しく苦しく大変だったと思います。戦争に行って帰れなかった人や、家族や関わった人の事を思うと本当に涙があふれそうです!
魂は天国で幸せでいれる事だけが救いですね!
そんな人達を今後に出さない様にする事が、私達の役目の様な気がします。
この方たちから指名されたのかもしれませんね。
不思議な感じがします。
この遺品に向き合って今の時代の幸せに感謝することができると
思っています。