自然薯
自然薯(じねんじょ)は実は山芋である。
しかしお店で売っている山芋とはまったくちがうのだ。
なにしろこれを食べたくったってそんじょそこらで手に入る代物ではない。
我が家の主人はこの自然薯堀りの名人である。
近所に子供の頃からの仲間がいて毎年晩秋になると近辺の山に堀りに出かける。
若い頃は一日で十数本も掘ったらしいが今は腹がじゃまするのと体力が続かないのと自然薯が
なくなって来ているのとで昔ほどの収穫はない。
専用のつきのみとスコップと背負いかごを背負って地下足袋をはいて朝から出かける。
秋の夕日はつるべ落としであっという間に日が暮れて寒くなってくる。
その頃山をのし歩いたせいで泥だらけ、 頭は落ち葉だらけで帰ってくる。
そして戦利品をご披露してくれるのだ。
これだけ掘るのがどれほど大変だったかしばらく弁士となる。
私はその話を聞いてまったくすごいもんだと感心する。(というか・・・ふりをする)
深いときは180センチくらいの細長い縦穴を掘るのだそうだ。
そして自然薯を絶対折らないのが自慢らしい。
仲間内で収穫したものを互いに見せ合い誰が一番良いものを掘ったのか、
楽しくってやめられないそうだ。
この自然薯をすり鉢でするとまるでお餅の様だ。
真っ白くて粘っていて箸で持ち上げるとそのまま全部持ち上がってしまう。
お醤油をかけてあたたかいご飯で食べたり、てんぷらにしたり、
まったく山の珍味である。
このようなものを食べられる幸せをありがたく思う。
しかし、私が大量の梅干を毎年漬けても大嫌いだから一粒も食べないのと同じように
主人も自然薯が大嫌いで食べないのである。
嫌いなものをなんだってまた苦労して作ったり、掘ったりするのか?
答えは簡単である。
とっても楽しいからである。
そして皆が喜ぶからである。
しかしお店で売っている山芋とはまったくちがうのだ。
なにしろこれを食べたくったってそんじょそこらで手に入る代物ではない。
我が家の主人はこの自然薯堀りの名人である。
近所に子供の頃からの仲間がいて毎年晩秋になると近辺の山に堀りに出かける。
若い頃は一日で十数本も掘ったらしいが今は腹がじゃまするのと体力が続かないのと自然薯が
なくなって来ているのとで昔ほどの収穫はない。
専用のつきのみとスコップと背負いかごを背負って地下足袋をはいて朝から出かける。
秋の夕日はつるべ落としであっという間に日が暮れて寒くなってくる。
その頃山をのし歩いたせいで泥だらけ、 頭は落ち葉だらけで帰ってくる。
そして戦利品をご披露してくれるのだ。
これだけ掘るのがどれほど大変だったかしばらく弁士となる。
私はその話を聞いてまったくすごいもんだと感心する。(というか・・・ふりをする)
深いときは180センチくらいの細長い縦穴を掘るのだそうだ。
そして自然薯を絶対折らないのが自慢らしい。
仲間内で収穫したものを互いに見せ合い誰が一番良いものを掘ったのか、
楽しくってやめられないそうだ。
この自然薯をすり鉢でするとまるでお餅の様だ。
真っ白くて粘っていて箸で持ち上げるとそのまま全部持ち上がってしまう。
お醤油をかけてあたたかいご飯で食べたり、てんぷらにしたり、
まったく山の珍味である。
このようなものを食べられる幸せをありがたく思う。
しかし、私が大量の梅干を毎年漬けても大嫌いだから一粒も食べないのと同じように
主人も自然薯が大嫌いで食べないのである。
嫌いなものをなんだってまた苦労して作ったり、掘ったりするのか?
答えは簡単である。
とっても楽しいからである。
そして皆が喜ぶからである。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。
このゴボウのような、真っ直ぐな形の山芋は私の郷里、静岡では「とろろ汁」とし子供の頃はよく食べました。懐かしいですね。
因みに、東海道五十三次の「丸子」の茶屋として知られている、静岡の「丁子屋」ではとろろ汁は今は名物料理になっていますね。
「丁子屋」→http://poran.vox.com/library/post/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%BA%94%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%AC%A1%E4%B9%8B%E5%86%85-%E4%B8%B8%E5%AD%90%E5%90%8D%E7%89%A9%E8%8C%B6%E5%BA%97%E4%B8%81%E5%AD%90%E5%B1%8B.html