2014年2月27日木曜日

お雛様


間もなく雛祭りです。お雛様を飾りました。
娘達はもう結婚してしまってこの家にはいませんが
毎年忘れずに飾っています。
 
一年ぶりに箱からお雛様を出すとき必ず
このお雛様を買ってくれた私の両親、幼い頃の娘たち、
そして初めてお雛様が自宅に届いて主人の母、私の母、伯母さんと
大騒ぎの末床の間に七段飾りのお雛様を飾ったことを思いだします。
もう30数年も昔のことになってしまいました。
 
お雛様はあの頃の楽しかった思い出を呼び起こしてくれます。
大事な宝物です。
 
 
 

2014年2月25日火曜日

お犬様のお病気 続編

糖尿病の愛犬もこのところめっきりやせ細り毛も抜け落ち
目は白内障で白くなり、あばら骨がうき出て見る影もなく
痛々しいです。
私は一日もかかさず決められたインシュリンを注射して
糖尿病食の餌もきちんと量って与え、定期的に獣医のもとにも通っていましたが
だんだん弱ってくるのは否めません。

がりがりに痩せているのでインシュリン注射も
筋肉に刺したつもりでも骨に当たり犬も痛がり私もひるんでしまい
むなしくインシュリンは犬の毛に降りかかるだけ・・・
ということもよくあるこの頃です。

きょうは獣医さんからおなかが膨らんでいて毛が無くなっているのは
もしかしたら副腎という臓器の病気かもしれないといわれ、
超音波の検査をしました。
やはり肝臓も肥大していて副腎も大きくなっていて、
確定の血液検査のため後日また、連れて行くことになりました。
なんでもその血液検査はちょっと時間がかかるのだそうです。

「あ~、またか・・・お金がかかるな・・・」と一瞬思いましたが、
とにかくもしその副腎の病気だったら毎日薬を与えなければいけないそうです。
そしてその薬は高価で1回400円也、一日一回なので一か月12,000円・・・
そしてもちろんインシュリン注射は続けるのですから
飼い主は金銭的にも大変です。
インシュリンもその薬も生きている間ずっと投与するのだそうです。

深い溜息をついている私に先生は
「その治療をするかしないかは飼い主さんが決めることですから・・
結果が出たらまた一緒に考えましょう。」とのことであった。

獣医療も目覚ましい進歩で犬や猫だって人間並みの医療を
受けることができ、寿命も延びた。
しかし検査や薬や入院や注射や・・・と犬にしてみれば苦痛この上ないのでは?
と思ってしまうこともある。
そして飼い主だってお金がかかるのは覚悟しなければならない。

先生に「この犬もう13才なんです。あまり治療したくないんですよね・・・」と言ったが
この犬にとって何が一番いいのかわからなくなってしまう。
実験台になっているような気がしなくもない。
犬が口が聞けたらなんて言うのだろうか。
「毎日インシュリン注射痛いよ、検査も入院も嫌だよ、ほっといて」って言うのだろうなあ。

こうやって医療を受けられる犬もいれば毎日殺処分されていく犬もいて
この世はなんて不条理で満ちているのだろう。
病気の老犬を抱えて飼い主も悩み深いのである。









2014年2月17日月曜日

徒歩で通勤

この度の大雪で月曜日になってもバスは運休したまま。学校も休校です。
朝から雪道を歩いて通勤していく人たちがたくさんいました。
私も今日はスタッドレスタイヤをはいた軽トラックで出勤の予定でした。
 


しかしあまりの雪の多さに雪掻きがはかどらず結局この写真の左に写っている
軽トラックをこの納屋から出すことは出来ませんでした。
なにしろトラックの荷台近くまで積もったのですから。

よってリュックを背負って徒歩で通勤したのですが、片道1時間40分もかかり
会社に着いたときはヘトヘト。
自分の長靴は穴があいているうえに短いので主人の大きな長靴を
履いて行ったのですがぶかぶかで雪道を歩くのに脱げてしまいそうで散々でした。
そして昼休みには猛烈な眠気が襲ってきて椅子で居眠り・・・

帰りは途中途中で休みながら歩いたため自宅に着くまで2時間近くかかってしまい
外はとっぷり日が暮れてお腹は空くし、足は痛いし、もう道路では誰も歩いていません。
なんか妙に悲しかったです。
さあ明日はどうやって通勤しようか、それが問題だ。
車が出せればいいのだけれど・・・・

2014年2月15日土曜日

また大雪


2月14日から降り続いた雪は翌日の朝この状態です。
東京でも山間部にあたるので70センチ以上はありました。
先週の雪の上にまた降り積もり人間の背丈ほどもあるところもありました。
こんな大雪生まれて初めてです。
玄関から1歩も出られません。
穴のあいた丈の短い長靴ではどうにもできず
毎日長靴を購入しようと捜し歩いたのですがどこも売り切れ。
しかたなく今朝はビニール袋をはいてから長靴をはき
登山靴に使うスパッツをして外に出たら・・・・



家の前の道路では大型トラックが2台立ち往生していました。
主人が運搬機を出してワイヤーで引っ張ったりしましたが結局ダメ。
何人かの人たちで雪を掻き出したりもしましたが雪が深くてどうにもなりませんでした。
このトラックがやっと動いたのは夕方4時でした。
運転手さん最後に一言「今夜は帰れないかと思った」・・・


バスも運休、車は走れず、歩道は雪が深すぎて歩けず、これからしばらくは
どうしようかと思います。
住宅街なら雪かきもはかどってせめて道路くらいは車も走れると思うのですが
山間部ではどうにもなりません。
雪に不慣れな東京です。
水分を含んだ重い雪なので雪掻きも重労働です。
今日一日で腕も腰も疲れ果てましたが明日も頑張らなければなりません。
もう雪はいやだ。
困った~。


2014年2月14日金曜日

自分のご先祖様

自分のご先祖様って何人くらいいるのだろうか?
お風呂の中で指を折って数え出したらものすごい人数になることに気がついた。
指なんか到底足りないのである。

自分の親は2人、父方の両親と母方の両親ということで自分の祖父母は4人。
その祖父母たちの親つまりひいじいさんと、ひいばあさんは全部で8人。
ひいじいさんとひいばあさんの親は高祖父、高祖母ということで16人。
高祖父、高祖母の親は32人。
と、永遠に遡っていくと・・・・
2+4+8+16+32+64・・・・
このあたりになるともう江戸時代であろうか?
もっともっと遡ったら?
いったいどれだけの人数になるのか、気が遠くなる。

このたくさんの方たちは何時代に生き、何という名前でどんな人生を送ったのであろうか。
自分が知っているのは祖父母止まりでひいじいさんの代になったら
どんな人だったのか名前すら知らない。
代々続く由緒正しい生まれではないので家系図などというのもない。

ご先祖様が誰一人欠けても今の自分というものは存在しないのである。
そして膨大な人数のご先祖様のDNAを引き継いでいるのだと気が付かされる。
もしかして自分とよく似たご先祖様もいたかもしれない。
自分の出来不出来をご先祖様のせいにするつもりは毛頭ないが
このご先祖様のおかげで今の自分があるのだ。
そしてまた子の世代、その次の世代へと引き継がれていく。
自分も大きなつながりの中のほんの一部なんだなあと思う。

さて、マンモスを追っかけていた石器時代くらいまで遡ったら
どれほどの人数になるのでしょうか?
だれか数学に強い方計算して下さい。




2014年2月11日火曜日

弟の取りっこ

 
 
二歳になる孫は弟を自分の家族と認識しているようです。
赤ちゃんを抱っこしたいとやってきた従姉妹にも抱かせようとしません。
私が抱かせてあげたら取り返そうと必死になり取りっこになってしまいました。
こんな小さな子でもわかるのですね。
お兄ちゃんの自覚が出てきたのでしょうか。
 
 

2014年2月9日日曜日

大雪



        土曜日に降り続いた雪ですが朝起きるとんでもないことになっていました。
我が家はいわゆる山間部ですから市街地と違って雪の量も多く
また寒さも厳しいです。
まず玄関から庭に出られませんでした。
長靴を履いても雪が深くて中に雪が入ってしまうのです。
ひざ位まで積もっていたので50センチは越えていたと思います。
 
しかし気温は暖かく雪はどんどん解けだし、
屋根からは轟音と共に雪が落ち危険でした。
自宅の前の都道は全く車は通らず路線バスは運休。
 
我が家は薪を切り出して運ぶエンジンの着いた運搬機があるのですが
それが大活躍で雪を圧雪したり捨てる雪を運ぶのにも助かりました。
雪かきは本当に重労働です。雪国の方々の苦労が身に沁みます。
明日あたり私は筋肉痛でしょうね。
 
今日は都知事選、投票所の小学校まで歩道は雪が深くて歩けず車道を
のんびりと歩いて投票してきました。
道すがらどの家も家族総出で雪かきをしていて
この時ばかりは家族で力を合わせないといけないのでしょうね。
 
明日の凍結が心配です。
出勤どうしましょう・・・・
スタッドレスのタイヤが着いた軽トラックで出勤するようです・・・
 
 

2014年2月6日木曜日

朝の雪景色



東京でも4日に雪が降りました。
朝、窓を開けたら自宅の前の向かいの山とお寺に朝日が当たり
荘厳な景色にしばし見とれてしまいました。
 
4日は初午でお稲荷さんに赤い旗と五色の旗を立て
お赤飯、油揚げをお供えしました。
隣組5軒でお稲荷さんを祀っているのです。
5色の旗は前日作って篠に括り付けます。
 
 
 
 
 
 
 
そしてその初午の夜は
「お日待ち」、つまりその年の当番の家に
集まりお食事をする行事があり
今年は我が家がその当番の年でした。
5年に一回まわってきます。
 
今までの「お日待ち帳」といってノートがあるのですが
一番古いノートは昭和32年から始まっていました。
今は亡き隣組のおじいちゃんたちがそれぞれ当番の年に記録したのですが
もう50年以上続いているのですね。
 
しかし今はどの家も子供たちはみな独立して外へ出て行ってしまい
夫婦だけの暮らしの家ばかりです。
我が家もそうです。
いずれこの集まりも自然消滅するのでしょうね。
なんだかさみしい気がします。
 
ずっとお稲荷さんを祀ってきたおかげでどの家も
なんとかそこそこ平和に暮らしてきたように思います。
信じる者は救われる・・・ではないですがそう思いつづけているのも
いいのではないでしょうか。
 
現代においてまだ「お日待ち」などという集まりがあるのは
ここが東京と言えどもまだまだ田舎だからなのでしょうね。