我が家の母屋をまもなく取り壊すことになった。
義母が入院してから13年、誰も住んではいなかったし、古い家なので傷みも激しい。
義母が4月に亡くなり、もうこのままにしておくわけにはいかないだろうということになったのである。
家具類、衣類などは義母が亡くなってから大変な思いをして処分したのであるが
いざ取り壊すとなると、まだまだいろいろなものがいろんなところから ぞくぞくと出てきた。
お宝になるようなめぼしいものはないがどうしても捨てられないものもあった。
まずは五ツ玉のそろばん
五ツ玉そろばんを使える人なんてもういないのではないだろうか?
次にご先祖様が使っていた
キセル
どうやって火をつけるのかしら?
使い方がわからない・・・
そして
ゆたんぽ
いまでもゆたんぽ使っている人っているのかな?
これは
木箱 嘉永?年 二月吉日
江戸時代の年号だろうか?
我が家では太平洋戦争で戦死した方が四人もいる。
この
感状には昭和十七年十月十六日 連合艦隊司令長官 山本五十六 とある。
そして日露戦争で戦ったご先祖様のものらしいのだが
明治三十九年四月一日とあるが、中央の角印は大日本国璽とあるが、、、
このようなものがたくさんあるのである。
写真にはもう載せていないが明治九年の古文書、出征のときに寄せ書きをした日の丸の旗。
弾丸の跡が残ったままの日記帳、軍服、勲章、、、、
このような戦争に関係するものを実際目にすると若くして戦地に赴き戦死したご先祖様を
思うと胸がふさがれる思いである。
そして仏壇の引き出しからは入れ歯がでてきたのである。
これは明治十九年生まれのおばあさんの入れ歯だそうである。
これには私も気味が悪くなってしまった。
この入れ歯だけは処分することにした。
古いもの、けれど処分することはとても出来ないもの。
そのようなものがまだまだ我が家にはあるのである。
このものたちをこれからはどこにしまっておいたら良いのだろうか?
私は悩んでいるのである。
保存しておかなければ勿体ないような感じですし、「dorin博物館」 or 「dorin資料館」が開設できそうですね。
Poran
あの湯たんぽは私も子供の頃使っていました~ 母が熱いお湯を入れて手作りの袋に入れお布団に入れておいてくれました。6人家族でしたから、あの湯たんぽが6個もあったのかと思うと笑ってしまいます。先日伊勢丹でオシャレな湯たんぽやカバーが売っていました。
charan
あの湯たんぽは私も子供の頃使っていました~ 母が熱いお湯を入れて手作りの袋に入れお布団に入れておいてくれました。6人家族でしたから、あの湯たんぽが6個もあったのかと思うと笑ってしまいます。先日伊勢丹でオシャレな湯たんぽやカバーが売っていました。
charan
もっと寒かったのでしょうね~。
懐かしい思い出です。