結び目音痴
先日のブログで私は三大音痴であると書いた。
機械音痴、方向音痴、結び目音痴。
後日同じブログ仲間の方から「結び目音痴とは?何ですか。」というご質問を頂いた。
さっそくかいつまんでお返事を書いたのだが、やはりブログにも書いてみようと思った。
まず子供の頃から紐がうまく結べない。
何回習ってもちゃんと結べなくて蝶々結びはみごとな「おっ立て結び」になってしまう。
エプロンのように後ろ手で結ぶのはもっとたちが悪い。
また相手に結んであげるときは向かい合って結ぶから鏡を見ている感覚になり混乱する。
着物も着付け教室なるものに通ったことがあるが
結局帯の結び方がいまひとつ理解できない。
マンドリンの絃だって交換する時は一苦労だ。
何度交換しても「あれ?どっちへ巻き付けるんだっけ?」といまだに四苦八苦となる。
独身時代、会社のヨット部に入っていた。
当然ヨットに乗るには「もやい結び」ができなくてはならない。
何度も教えてもらいやっとわかったけれど、結んでいる時の自分の立ち位置が少しでも
変るともう訳がわからなくなった。
祝儀袋の水引きなどすばらしい芸術性が感じられるものもある。
不祝儀用の水引きは結びっきりという結び方。(不幸はこれっきりと言う意味である。)
御祝儀用は丸く円を書いて結んである。(お祝い事は何度も回る)
私はそれを見ていると頭がこんがらがってしまうのだ。
部屋の隅っこでパソコン機器やら電化製品やらのコードが
こんがらがって後ろに押し込んであってもこれはどうしようもないのである。
また、結び目ではないが、
学校の家庭科の授業でいろいろ作品を作るが布と布を中表にして
ここを縫い合わせてひっくり返すと出来上がり、
見頃と袖をこうくっつけて縫ってからひっくり返すと・・・と言うのが頭の中で理解できなかった。
よって、何度泣きながらやり直しをしたことだろうか。
だから建物の構造だってよくわからない。
この部屋にどうしてあの部屋が隣り合わせとなるのであろうか?
角を曲がって曲がってたどりついた奥の部屋と入り口の部屋が実は隣り合わせだった。
どうしてだろうと不思議に思ってしまう。
つまり私は立面的に考えることが不得手なのだ。空間を頭の中にイメージしてそこで
結んだり、ひっくり返したり、向こう側に回ってみたりがよくできないのである。
空間音痴でもあるのだ。
というかその能力が欠けているのだ。
まあ生まれつきというやつだ。
だから頑張ったり努力をしたって無理なのだ。
しかし今まで普通の生活は送ってこれたのだから
自分ではそんなに深く気にはしていないのである。
機械音痴、方向音痴、結び目音痴。
後日同じブログ仲間の方から「結び目音痴とは?何ですか。」というご質問を頂いた。
さっそくかいつまんでお返事を書いたのだが、やはりブログにも書いてみようと思った。
まず子供の頃から紐がうまく結べない。
何回習ってもちゃんと結べなくて蝶々結びはみごとな「おっ立て結び」になってしまう。
エプロンのように後ろ手で結ぶのはもっとたちが悪い。
また相手に結んであげるときは向かい合って結ぶから鏡を見ている感覚になり混乱する。
着物も着付け教室なるものに通ったことがあるが
結局帯の結び方がいまひとつ理解できない。
マンドリンの絃だって交換する時は一苦労だ。
何度交換しても「あれ?どっちへ巻き付けるんだっけ?」といまだに四苦八苦となる。
独身時代、会社のヨット部に入っていた。
当然ヨットに乗るには「もやい結び」ができなくてはならない。
何度も教えてもらいやっとわかったけれど、結んでいる時の自分の立ち位置が少しでも
変るともう訳がわからなくなった。
祝儀袋の水引きなどすばらしい芸術性が感じられるものもある。
不祝儀用の水引きは結びっきりという結び方。(不幸はこれっきりと言う意味である。)
御祝儀用は丸く円を書いて結んである。(お祝い事は何度も回る)
私はそれを見ていると頭がこんがらがってしまうのだ。
部屋の隅っこでパソコン機器やら電化製品やらのコードが
こんがらがって後ろに押し込んであってもこれはどうしようもないのである。
また、結び目ではないが、
学校の家庭科の授業でいろいろ作品を作るが布と布を中表にして
ここを縫い合わせてひっくり返すと出来上がり、
見頃と袖をこうくっつけて縫ってからひっくり返すと・・・と言うのが頭の中で理解できなかった。
よって、何度泣きながらやり直しをしたことだろうか。
だから建物の構造だってよくわからない。
この部屋にどうしてあの部屋が隣り合わせとなるのであろうか?
角を曲がって曲がってたどりついた奥の部屋と入り口の部屋が実は隣り合わせだった。
どうしてだろうと不思議に思ってしまう。
つまり私は立面的に考えることが不得手なのだ。空間を頭の中にイメージしてそこで
結んだり、ひっくり返したり、向こう側に回ってみたりがよくできないのである。
空間音痴でもあるのだ。
というかその能力が欠けているのだ。
まあ生まれつきというやつだ。
だから頑張ったり努力をしたって無理なのだ。
しかし今まで普通の生活は送ってこれたのだから
自分ではそんなに深く気にはしていないのである。
コメント
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ブログのおかげで人様にこんな音痴があるのだとわかってもらえて
良かったです。(笑)